伝説のジャガーEタイプ、CUT ディック・プロザーローの生涯
公開 : 2019.06.08 07:50
活躍できなかったCUT7
グッドウッドのRACツーリストトロフィで強敵を相手に6位でフィニッシュするなど、このシーズンには好成績を収めることができたが、最終的には最初のCUT7は重すぎるとともに、妥協すべき点も多く、所詮は改造ロードカーに過ぎないことが明らかになった。
その年の末、CUT7は636CJUとして再登録され公道仕様に戻された。プロザーローはその時すでにもうひとりのメカニック、スタッフ、トニー・ウォードに対し、ブラウンズレーン(ジャガー社の工場)に完全に新しいレースカーを製造するのに十分なパーツを発注し、揃える仕事を与えていた。こうして構造を軽量化するとともに、前のEタイプで出場した15のレースから得たデータをベースに大規模な改造が進められた。
2代目となるCUT7は、DP138D5というナンバーが与えられていたEタイプだ。プロザーローの修理工場で改良されたこのニューマシンには高い期待が寄せられた。しかし、ニューマシンのデビュー戦となる1963年3月のスネッタートンのレースで、プロザーローは突然の激しい雷雨の中でクルマを3回も横転させてしまった。
マシンをわずか10日間で組み立て直したものの、彼のEタイプに対する信頼はこの時にすでに揺らぎ始めていたようだ。それから5回ほどレースに出場した後、このマシンは256DJUとして再登録され、地元のスピードマニア、ロジャー・マックに売却された。