伝説のジャガーEタイプ、CUT ディック・プロザーローの生涯
公開 : 2019.06.08 07:50
ワンオフ車で好成績
同年6月、プロザーローはライトウエイトEタイプを手に入れるためにジャガーのコンペティション部門を訪れた。そこでライトウエイトモデルの生産が中止されたと聞かされるが、実験的に1台だけ生産されたロードラッグEタイプが工場の隅で埃を被っているのを見つけた。そしてこのクルマを持ち帰る。
これが3代目のCUT7となる。ノーマン・デュイスは、このクルマを1年前にプロザーローに与えるべきだったとウェルズとウォードにかつて語ったことがある。そうしていたなら、もっと素晴らしいクルマに改造できていただろう。
それでもプロザーローは限られた時間内にこのクルマにかなり手を加えた。ランスのスポーツカーレースでは、総合2位、GTクラスではフェラーリGTOを退け優勝という好成績を収めた。
このレースには面白い逸話がある。プロザーローはロンドン近くまで来た時にパスポートを家に忘れたことに気づく。そのままではレースに出場できない。フェリーに乗り遅れるのはまずいと考え、Eタイプをトレーラーから下ろすと、クルーを先に港に行かせ、自分はパスポートを取りにEタイプでレスターシャーまで戻った。それから大急ぎで南下し、再びチームと合流したのだった。
アルミニウム合金製エンジンを搭載しているにもかかわらず、このクルマはまだ重く、また、当初はフューエルインジェクションに問題があった。うわさによれば、グッドウッドで練習走行をしている時にも、プロザーローはエンジンのフューエルリングに文句を言っていたという。