伝説のジャガーEタイプ、CUT ディック・プロザーローの生涯
公開 : 2019.06.08 07:50
フェラーリで事故死
大急ぎでブラウンズ・レーンに電話をかけてから、このロードラッグジャガーに乗ってジャガーの本社に駆けつけ、インジェクターを検査し、クリーニングさせてから、彼はグッドウッドに戻った。その後、彼はCUT7として登録されたこの特殊なEタイプに乗り、ツーリストトロフィで再び6位でフィニッシュしている。
1964年シーズンには、ジョン・クンドリーをコドライバーに迎えた。このコンビでニュルブルクリンクやスパなどのサーキットをはじめとする欧州の有名レースに参加し、ランス耐久12時間とパリ1,000kmではクラス優勝を果たした。
この年、プロザーローはシルバーグレーのボディのサイドに淡いブルーのストライプを加えた。ノーズからウイングを超え、リアにまで至る特徴的なラインだ。しかし、このペイントが施された「プロザーローE」は、実はこれが最後の1台ではなかったのである。
ロードラッグEは1965年初めに売却され、現在はアメリカにある。その後のプロザーローのレース参戦は、マイク・ソロモンとコンビを組んだマラネロ・コンセッショネアーズ250LMでの数回に限られる。
この経験にヒントを得たのか、彼はついにブラウンズ・レーンと手を切り、フェラーリ330Pを手に入れ、オウルトンパークで開催された1966年ツーリストトロフィに出場する。そして4月28日木曜日のフリープラクティクスの後半、プロザーローはドルイコーナーで激突し、帰らぬ人となった。