マクラーレンF1 vs マクラーレン720S 比較試乗 伝説はいまも
公開 : 2019.06.08 11:50
感じたのは安堵 そして邂逅
だが、なによりも記憶に残っているのは、ヨークシャーへのドライブだった。そこで、公道でマクラーレンF1を運転するということは、常に自制心との戦いであることを学んだのだ。広大なブランティングソープで経験した速さがどれほどのものであれ、狭い公道では、その何倍ものスピード感を感じさせ、少しでもアクセルを踏み込もうものなら、すぐに驚くべき速度表示を目にすることになる。
それでも、いまだに忘れられないのは、やはりこのクルマのキーを最後に返却したときのことだ。仕事をやり遂げたあとの達成感でもなければ、もう二度とこのクルマを運転することはないのだという悲しみでもなく、そこにあったのは安心感だった。
ほかとはまるで違う、かつてないほどの挑戦をドライバーに強いるクルマで、これほど長い時間を過ごしたにもかかわらず、病院送りになることもなく、逮捕されることもなかったという安心感であり、パフォーマンスのすべてを引き出し、ドリフトや、ジャンプまでさせたにもかかわらず、XP5に傷ひとつ付けずに済んだという安堵でもあった。
その艶やかなウインドスクリーンをノックする音で現実に引き戻された。出発の時間だ。どこかでこの瞬間を恐れている自分がいる。
今回、長期レポート車両である「わたし」の720Sを連れてきているが、それは、F1との比較が素晴らしい「気づき」をもたらしてくれると考えたからであり、720Sが、どんな時も、あまりにも簡単に英国の田舎道を200kmほども走破してしまうことに、感心させられていたからでもある。
では、F1が実はたいした存在ではないと分かったなら、どうすべきだろう? それもあり得ないことではないように思える。時の経過とともに、われわれ自身も変わったが、グッドイヤーではなくミシュランを履き、マイルではなくkm/h表示の速度計を持つF1は、当時と何も変わっていない。
F1を目覚めさせるには、まずキーを廻して、小さなフラップを持ち上げ、赤いボタンを押す必要がある。この、まるで戦闘機のようなやり方ほど仰々しく見えるものはないが、F1のコクピットではそれが当然に思える。