消えゆく「ドライブイン」 なぜ減った? そもそもの定義 代わりになるのは
公開 : 2019.06.06 19:10 更新 : 2019.06.07 18:38
日本のドライブイン 役割やや異なる
残念ながら正確にはわかっていないが、沖縄のドライブイン・レストラン・チェーン「A&W」が日本国内最初のドライブイン・レストランのひとつと言われている。
米軍基地が多く、本土よりもアメリカ文化が早く伝わっており、モータリゼーションの普及も早かったからだろう。
前述のように本土でもバス旅行や自家用車によるドライブの機会が増えると、主要な街道沿いに駐車場を備えた食道やみやげ物店ができるようになり、それが「ドライブイン」と名のったり、またそう呼ばれるようになっていった。
だが、ドライブインのメインユーザーは菅原文太主演の映画でお馴染みの「トラック野郎」、つまり貨物を長距離輸送するトラックの運転手たちだった。
トイレや食堂はもちろん、仮眠施設やシャワールーム、そしてガソリンスタンドなどを備えている施設もあった。
また、自動販売機で飲食物を変えるだけの簡単な休憩所的な施設もあり、オート・レストランなどと呼ばれた。自動販売機のみだと無人の店もあったが、有人でゲームセンターや入浴施設も備えている店もあった。
1969年、東名高速道路が全線開通し、先に開通していた名神高速道路とも繋がり、日本のトラック輸送は高速道路へと移行しはじめる。
高速道路にはサービスエリアやパーキングエリアが設置されており、これらの施設がドライブインに取って代わるようになる。
つまり、トラック、バス、そして自家用車も高速道路網の発達によって、長距離移動には一般国道から高速道路を使うようになり、街道筋のドライブインに立ち寄るユーザーは減少し、ドライブインそのものも減っていくのだった。