復活デ・トマソ 新型車の写真 カモフラージュで覆われた姿を公開
公開 : 2019.06.14 06:10
復活計画 今回が2度目
アルゼンチンで生まれたアレハンドロ・デ・トマソは、イタリアに移りF1ドライバーとして活動した後、1959年に自身のメーカーを設立。同社の長い歴史の中では、フランク・ウィリアムズのためにF1マシンを開発したり、1975年から1993年の間にはマセラティの親会社だったこともある。
新たにジェネラル・マネージャーに就いたリャン・ベリスは、次のように語っている。「アレハンドロの人生について、これまで正確に語られたことはありません。しかし、彼の名前はエンツォ・フェラーリやフェルッチオ・ランボルギーニのように、多くの人から認められるべきだとわれわれは感じています」
デ・トマソの復活が計画されたのは今回が初めてではない。遡ること2009年には、フィアットの元重役が商標権を取得し、SUVや高級サルーン、クーペなど、いくつかのモデルを2011年から生産しようと計画。しかし2012年半ばに会社は精算され、賃金未払いのまま残された900人の従業員と、元ピニンファリーナの工場は新たなオーナーに救われた。
驚くことに前社長はその後、デ・トマソ復活のために集めたイタリアの公的資金を乱用した疑いで告訴されている。