デザイナー、イアン・カラム ジャガー新時代の立役者 惜別の独占インタビュー
公開 : 2019.06.22 18:50
番外編1:すべてはここから
当時14歳だったイアン・カラム少年が書いたこれらのデザインスケッチは、1960年代にジャガーのビル・ヘインズへと届けられたものだ。カラムの母親が保管していたスケッチのなかには、Mk10といったサルーンのスタイリングの特徴を、多く見て取ることができる。
それでも、カラム少年はLスタイルのような、自身のデザインも創り出していたのであり、その領域はジャガーのデザインスタイルを見事に理解していたことを示すインテリアにまで及んでいる。
この少年の想いを受け取ったヘインズは、2枚の手紙を若きイアンに送り、デザインの勉強をするように促したのだ。そして、まさにそれが始まりだった・・・
番外編2:カラムが救ったアストン
1994年発売のアストン マーティンDB7こそが、イアン・カラムにとって、初めてプレミアムなスポーツカーのデザインで自身の才能を発揮することに成功したモデルだ。
TWRの極めて少ない予算のもとでデザインされたDB7だったが、アストンの経営陣が驚くほど多くのドライバーを魅了し、ブランド終焉の淵にあったこの伝統のスポーツカーメーカー復活の立役者となった。
「TWRのボス、トム・ウォーキンショーからは非常に多くを学びました」と、カラムは言う。「彼が、このクルマをデザインするためのスペースと自信を与えてくれたお陰で、DB7は誕生したのです」
DB7は10年ものあいだ現役を続け、いまに続くアストンのデザインを定義することとなった。