英国が生んだエキゾチックモデル ツインカムのMGA 60周年を祝う
公開 : 2019.06.29 07:50 更新 : 2020.12.08 10:40
エンジンの信頼性を証明するための24時間テスト
ピストンリングにも問題があり、初期型のエンジンでは点火プラグの汚れがひどかった。加えてピストン自体も加熱して溶けてしまうことが最大の欠点で、後に圧縮比は8.3:1にまで下げられた。最終型では、特定の回転数で発生するエンジンの振動を抑える目的で、1-3/4インチのSUキャブレターに変更されている。MGAツインカムは1960年に生産が終了。残りのツインカムエンジン用パーツは、1622ccのBシリーズを搭載したデラックスとデラックスⅡへと流れた。
このイベントに今回参加した6台のMGAツインカムのうち、自走で来たのは4台のみ。そのうちの1台はユニバーシティ・モータース社から借りてきたもの。さらに2台のプロトタイプが、デモンストレーション用として参加している。ORX 855のナンバーのクルマは初期型で、PJB 147のナンバーのクルマは展示車両だった。
実は当時のモーリス・エンジン社のコートハウス・グリーン工場には、クランクシャフトとフライホイール、クラッチを組合せた状態でバランス取りできる施設がなかったのだ。そのため、それぞれ部品ごとにバランスを取り、エンジンを組み立てた結果、出荷したエンジンの半数は高回転域での振動に悩まされたという。
MG社はバランスの取れたエンジンのみを搭載していることを証明するため、飛行場で24時間のテスト走行を自動車ジャーナリストを招いて行った。その実施記録は当時29歳だったジェフリー・アイリーが担当していた。ジェネラル・マネージャーのジョン・ソーンリーは、ニューヨークで仕事をいていたそうだ。アイリーから仕事を任された時、ソーンリーは「君の仕事は工場からクルマを出すこと。設計や開発の説明など、プレス対応などはすべてわたしが担当しますよ」 と話したという。
しかし実際はアイリーが42名のスタッフを率い、ホスピタリティや参加車両、接客などを管理したそうだ。間もなく90歳を迎えるアイリーだが、MGAツインカムの発表の頃をまだ覚えているという。「その日、プレス用のテントではビールを提供していました。当時の自動車ジャーナリストはアルコールとメタノール、理不尽な人間関係が蔓延していたんです。安全性や健康などは無視でしたね」
「ジャーナリストはかなり飛ばして運転しましたが、午前中はすべて順調。オートスポーツ誌やモータースポーツ誌、もちろんオートカー誌も含めて、世界中から集っていました。テント内ではみんなビールを楽しみ、モーリス・モータース社の手配したバンドが演奏をして、かなりいい雰囲気でした」