ジーリー 驚くべき成長物語 世界トップ10は目前 ロータスの今後も

公開 : 2019.08.03 18:50

独自の成長戦略 世界デビュー

中国自動車市場の爆発的な規模拡大に伴い、ジーリーも急激に成長したものの、2003年当時の7万6274台という生産台数は、他のより巨大な中国自動車メーカーに比べれば、取るに足らない存在でしかなかった。

他のメーカーが海外企業とのジョイントベンチャーを通じて、必要な経験を獲得するとともに、中国のひとびとが欲しがるクルマ作りへのサポートを受けて成長を続けるなか、そうしたやり方は自己満足をもたらし、イノベーションを阻害するものだとして、リーはジーリーを独自の方法で成長させる道を選んだ。

2005年のフランクフルト・モーターショーでは、アウディQ7ポルシェケイマンS、メルセデス・ベンツRクラス、5気筒エンジンを積んだフォード・フォーカスSTにフォルクスワーゲン・エトスといったモデルが、市場の注目を集めようと躍起になっていた。だが、そのなかでジーリーも欧州デビューを果たすことに成功しており、小規模なスタンドを用意して、京劇のキャラクターが周囲を取り囲むなか、小さいながらも塊感のあるCDクーペを発表している。


これは、ジーリーの年間生産台数が初めて10万台を超えた翌年の出来事であり、欧州のひとびとにとって、ジーリー製モデルはチープでつまらないクルマにしか見えなかった(さらに、当時の組立品質も決して褒められたものではなく、JDパワーでは、ジーリーを36位、中国ブランドでは最下位だと評価していた)。

それでも、独立系の自動車メーカーとして、初めて海外のモーターショーに参加したことは、中国国内で高く評価され、それまで単なる地方の1メーカーに過ぎなかったジーリーに対する見方を一変させることとなった。そして、この時の経験が、欧州向けブランドであるLynk & Coを、最初に中国でデビューさせるという後の判断にも繋がったに違いない。

さらに海外志向を強めたジーリーでは、上海での車両生産を行うべく、当時LT1タクシーのオーナーだったマンガニーズ・ブロンズとジョイントベンチャーを設立している。

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