ジーリー 驚くべき成長物語 世界トップ10は目前 ロータスの今後も

公開 : 2019.08.03 18:50

ボルボ 買収と復活

2009年の前半まで、中国以外の国々でジーリーを知るのは、自動車業界に精通したひとびとに限られていたが、それもボルボ買収を巡る、フォードとの交渉が明らかとなったことで、状況は一変している。

翌年には交渉が妥結し、ボルボの経営権はジーリーの親会社であるジーリーホールディング(浙江吉利控股集団)へと移っているが、これが意味するのは、グループのなかで、ボルボ・カー・グループとジーリー・オートは同格であり、決してジーリー・オートの子会社ではないということだ。

金融危機の影響に苦しむフォードでは、早期にボルボ売却を完了したいと考えていたものの、当時、ジーリーの売上はボルボのわずか1/6に過ぎず、リーが本気でボルボを買収しようとしていることを納得させるのは簡単ではなかった。

それでも、中国の銀行団からの手厚いサポートもあり、ジーリーは何とかこのスウェーデンブランドを18億ドルで買収することに成功したが、この金額は11年前にフォードが支払った1/4でしかなかった。


さらに、当時この買収の真の狙いを理解していたものはほとんどいなかった。自動車メーカーの買収と言えば、通常はコスト削減を目的に、大きく事業領域が重なる企業同士で行われることが一般的であり、経営統合の試みは最悪の結果に終わるだろうと、多くが予想していた。

だが、リーは経営統合など考えておらず、当時、「ボルボはボルボであり、ジーリーはジーリーのままだ」とまで話していた。そして、すぐに彼のこの言葉が真実であることが明らかとなったことで、長い歴史を誇る欧州ブランドを、ジーリーは実質的に自身のジョイントベンチャーのパートナーとして買収することに成功している。

ボルボ買収という賭けが成功するには、このスウェーデン企業の業績が持ち直すことが絶対に必要だったが、売上は減少傾向にあり、フォード時代終盤には、新規投資もままならない状態が続いていた。後にボルボのエンジニアは、当時本社のオフィスで照明が切れた場合、照明を交換するよりも、空いた席に移る方が簡単だったと語っている。

まず行うべきは、フォードのモデルと共用していたエンジンとプラットフォームからの決別であり、そのため、総額20億ドルにも上る中国国家開発銀行からの融資を含め、ボルボには絶対的に不足していた資金が投入される一方、新たにCEOに就任したホーカン・サムエルソンからの指示は、必要最小限に留まっていた。

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