英国におけるGT-R「ゴジラ」 ハコスカ+R32スカイライン 50周年比較試乗 後編

公開 : 2019.08.04 07:50  更新 : 2020.12.08 10:40

オーストラリアでゴジラと呼ばれたGT-R

初代GT-Rとなるスカイライン2000GT-Rが日本のツーリングカーレースを席巻たが、1989年にはR32型のスカイラインGT-Rがレース界を圧倒した。何しろ、日本のグループAカテゴリーで、3年間に開かれたうち、GT-Rが参戦した29戦すべてで優勝を果たしているのだ。

しかし、GT-Rが世界的な名声を得るきっかけになったのは、オーストラリアで開催されていたツーリングカー・チャンピオンシップだろう。フォード・シエラ・コスワースRS500やBMW M3などと競い合う姿によるところが大きい。特に、ギブソン・モータースポーツ・チームのボス、フレッド・ギブソンと、レーシングドライバーのマーク・スカイフ、ジム・リチャーズのコンビの成功が注目を集めた。

オーストラリアのツーリングカーレース、1967年のバサースト1000でフォードをドライブして優勝したギブソンは、日産ブルーバードのレースカーを開発する。その後ブルーバードからDR30型のスカイラインへとマシンが切り替わるタイミングで、ギブソンはレースチームを買い取る。その後1980年代後半にはHR31型のスカイラインで成功を収めている。

ギブソンは、R32GT-Rに初めて触れた時の印象を辛口に評価する。「重く、中途半端な日本製のレーシングカーでした」 そして自らの手で、手を加えることを決意したそうだ。「ニスモは、レースに2戦参加したクルマのウォーターポンプに1万2000ドル(当時で120万円)、トランスミッションに5万ドル(当時で500万円)を要求してきました。われわれは法外な値段に閉口し、自身たちのやり方でクルマを仕上げることにしたんです」

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