ランボルギーニ・ミウラ、5台集合 ミウラP400/SV/SVR ペブルビーチ・コンクール
公開 : 2019.08.13 17:32 更新 : 2019.08.16 14:03
ランボルギーニ・ミウラSVRをはじめ、ミウラ5台が、来週のコンクール・デレガンスに展示されます。それぞれのヒストリーをご紹介しましょう。
もくじ
ミウラP400
今年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスに、「ランボルギーニ・ミウラ」クラスが設けられ、5台が展示される。
このうち3台は、サンタガータのポロ・ストリコでレストレーションを受けた個体だ。ジャン・パオロ・ダラーラ、パオロ・スタンツァーニ、マルチェロ・ガンディーニという3人が作り上げた夢の結晶、そのなかでも特別なモデルが一堂に会するわけだ。
1967製のミウラP400(シャシーナンバー:3087)は、25台のオリジナル・プロダクション・シリーズの22台目として生産されたもの。1967年7月にスイス人のレーサーに納車され、1972年に北米・イリノイ州のジョン・ミドルトンに売却。彼はそれから40年もオーナーで有り続けた。そして3人目のオーナーが北米でレストアを行っている。
1968年製ミウラP400(シャシーナンバー:3303)は、101番目に製造された個体で、1968年2月にファースト・オーナーに納車されている。なんと、モハンマド・レザー・パフラヴィー、パフラヴィー朝イランの最後の皇帝である。クロームメッキのフロントバンパーや、ステアリングホイールなどを特別装備した1台。2018年にフルレストアを行い、2019年初めに元オーナーが手に入れている。
P400 SV、SVRも
1968年製ミウラP400(シャシーナンバー:3586)は、まさにムービースターの名にふさわしい1台。「ミニミニ大作戦(1969年)」の冒頭で、ロッサノ・ブラッツィが走らせている個体だ。撮影を終えると一度ファクトリーに戻され、イタリア人のオーナーのもとへ1968年2月に納車されている。その後、イタリア、日本、イギリスを巡り、2019年にポロ・ストリコでレストアを行った。
1972年製ミウラP400 SV(シャシーナンバー:3673)は、150台が製造されたうちの1台。全損し、解体されたP400のシャシーナンバーが、1番目のオーナー、キャプテン・アーサー・マッケンの希望で刻印されている。彼は、英国空軍の元パイロットで、南アフリカで暮らしていたことから輸入関税を免除してもらおうとしたのだ。30年後に北米に売却され、2016年にあのジャン・トッドが手に入れ、ポロ・ストリコでレストアを行っている。
1968/1975年製ミウラSVR(シャシーナンバー:3781)は、日本人オーナーが所有する特別な1台。1975年にワンオフ・モデルとしてサンタガータのファクトリーが製造。当初はミウラSとして生産されたが、1974年にドイツ人に売却。彼の希望によりファクトリーに戻され、レーシング・ミウラに生まれ変わった。その後、日本人オーナーの手に渡り、ポロ・ストリコによって、1975年に納車されたときの姿にレストアされている。