家族とオープン2+2 BMW 2002カブリオレ/トライアンフ・スタッグ 前編
公開 : 2019.08.24 07:50 更新 : 2020.12.08 10:56
デザインはジョヴァンニ・ミケロッティ
当初はトライアンフ2000と同じ2.5Lの直列6気筒エンジンを搭載する計画だった。しかし、4、6、8気筒に展開する新しいモジュラーOHCエンジンの開発が重なり、スタッグにはV8エンジンが搭載されることになる。しかし、ブリティッシュ・レイランド社としての統合によって、エンジンの開発自体が難航する。
当初のスペックは2.5LのV8にフュエルインジェクションという組み合わせが考えられていたが、発表時には3.0Lへと排気量は増え、ストロンバーグ社製のキャブレターを2基搭載。最高出力は控えめな147psとなっていた。
ヘラルド以降、当時のすべてのトライアンフのボディデザインを手掛けていたのは、イタリア出身のジョヴァンニ・ミケロッティ。リトラクタブル・ヘッドライトとパワーバルジのないスリークなボンネットはないものの、テール部分のカーブが美しい、ハンサムな2+2をデザインする。
華々しい発表キャンペーンも功を奏し、スタッグはグランドツーリングカーとして国際的に知られるようになる。一方で、V8エンジンが抱えていた問題や、絶えず変化するアメリカ連邦の衝突安全性や環境負荷への規制に対する交渉や対応に、裏では追われることになったのだが。
英国とを隔てる北海の反対側、BMW 2002カブリオレは、やや不格好なエクステリアデザインとは裏腹に、順調に計画が進められた。もとはコーチビルダーのバウアー社が手掛けた1600カブリオレで、リリースは1967年。1971年には2.0Lとして再登場している。1973年には右ハンドル車が354台輸入されている。
2002カブリオレの生産台数はわずか4210台
2002カブリオレの1973年の価格は3499ポンド(48万円)で、2002ターボを除いて、コンパクトなBMWの2ドアモデルとしては最も高い価格を下げていた。2002クーペより1000ポンド(14万円)高く、スタッグよりも900ポンド(12万円)ほど上回っている。
バウアー社は1910年にシュツットガルトで誕生し、BMW 501や502のカブリオレボディを生産していた他、BMW M1のボディも生産していた。1930年代にバウアー社が手掛けていたBMW 320や326カブリオレを祖先に持つような、4シーター・オープンだといえる2002カブリオレ。BMWとの深い関係性は1980年代のE30型3シリーズ・カブリオレまで続いた。
2002カブリオレはBMWから部品供給を受けるかたちで年間500台程度が生産され、1975年まで続けられた。クーペ比で50kg程度重量は増加しており、エンジンは2.0Lのシングルキャブのみで、最高出力は99ps。もっとも目立っていたオプションは、ZF社製のオートマティック・トランスミッションだったが、英国市場では魅力を高めるために、4スポークのアルミホイールが組み合わされていた。
BMWとしては世界的に輸出することは考えておらず、バウアー社が生産した2002カブリオレの総数は4210台。1967年から71年までのクルマがオリジナルボディとなる。カブリオレでは珍しいことだが、ルーフを閉じたときの方が、アピアランスはカッコ良い。
後編では、2台を詳しく見ていこう。