フェルディナンド・ピエヒを偲んで 彼のキャリアと生み出されたクルマ 後編
公開 : 2019.09.01 05:50 更新 : 2019.09.01 12:06
ポルシェとの争い(2000年代後半)
ポルシェ家とピエヒ家との確執は、フォルクスワーゲンが2009年にスポーツカーメーカを買収したことで、更に強くなってしまう。しかもフォルクスワーゲンの買収の報道は、ヴェンデリン・ヴィーデキングが長年に渡ってフォルクスワーゲンの買収を計画進めるも、失敗した後に行われたものだった。
ヴェンデリンはフォルクスワーゲンの監査役にも就任していたが、最終的にフォルクスワーゲンから逆買収されるかたちとなり、ポルシェCEOの辞任に迫られる。その際ピエヒは、「射殺されるかわたしが勝つか、どちらかだ」と話している。
XL1(2013年)
自動車市場のすべてのセグメントをカバーするという戦略のもと、ピエヒは超低燃費の都市部用自動車の開発を指導する。1999年に発表されたフォルクスワーゲン・ルポ3Lは、空力的に優れたボディに小型のディーゼルエンジンを搭載することで、33km/Lという非常に高い燃費性能を実現できることを証明していた。
ピエヒはそのコンセプトをさらに発展させ、2002年に発表された1リッターカーは、ヴォルフスブルクからハンブルグまでの距離を1Lで走る燃費性能を誇った。あくまでもプロトタイプでコストも高かったが、ピエヒは量産化を諦めることはなかった。
2009年に発表したL1と、2011年のXL 1コンセプトは、その後の量産モデルXL1への布石となる。流線型のボディに2名乗車の車内を持ち、ディーゼルエンジンによるプラグイン・ハイブリッドを搭載した。XL1はピエヒが目標としていた燃費性能を達成したものの、価格はポロの10倍。当時の価格は11万1000ユーロ(1443万円)で、250台が限定生産された。
フェルディナンド・ピエヒの辞任
2015年、フォルクスワーゲンで当時CEOを務めていたマルティン・ヴィンターコルンとの権力争いの後、フェルディナンド・ピエヒと彼の妻は、フォルクスワーゲンの会長職を辞任する。その2年後、彼が所有していた14.7%に達するポルシェ社の株式のほとんどを、彼の弟のハンス・ミヒャエル・ピエヒへと譲渡した。
1300億円以上の金額を手にしたピエヒだが、自動車業界から完全に手を引く意思表明ともなった。
紆余曲折があったことも事実だが、自動車業界をリードしてきた経緯には改めて感服する。心から哀悼の意を表したい。