モータースポーツ黎明期 HWM社の一部始終 ストリームラインとクーペ 前編
公開 : 2019.09.08 07:50 更新 : 2020.12.08 10:56
スパ・フランコルシャン24時間レースに参戦
自然吸気の2.0Lエンジンを搭載したクルマはF2の認証を受ける。だがワイドボディで若干オフセットしたドライバーズシートのおかげで、2シーターのスポーツカーへのコンバージョンも容易だった。2シーターは公道走行も許され、MPB 77というナンバーを取得している。
ストリームライン・ボディをまとったクルマがワークス車両としてレースに4回参戦する中で、HWアルファがウォルトンの街にあるガレージのクルマだと知られるようになる。そのうち2回はF1のイベントだった。ジャージー・ロードレースではタイミングチェーンが壊れるまで好調に走った。ストックホルム・グランプリではトラブルもなく完走した4台に残り、4位を獲得している。
フェンダーにヘッドライトが納まることで、スポーツカーとしてスパ24時間レースにも参戦。長いストレートが存在していた当時のスパ・フランコルシャンを雨のなか激走し、中盤までは総合で3位、クラスをリードするペースで周回する。しかし、真夜中過ぎに周回遅れをパスするのに失敗しコースアウト。パリのモントレー12時間レースでも、クラスリーダーとしてレースを引っ張るも、フロントタイヤのスタッドボルトがせん断し、タイヤが外れてリタイアとなった。
HWアルファの戦績は、4戦中4位が1回と、3回のリタイアと振るわないものだった。だが、1949年にヒースはオープンホイールの新しいレースマシンを制作する。ストリームライン・ボディのクルマはフロントサスペンションに独立懸架式を採用するなど改良を受けた。その後売却され個人がオーナーとして所有するも、当時では一般的だったが、結果としてはスクラップ扱いで放置されてしまう。
長年放置されていたクルマを修復
クルマは1962年まで、ロンドンのディーラーの空き地に放置され、当時165ポンド(2万円)で売りに出されていた。アルファ・ロメオのエンジンは、スチュードベーカー製の重たいV8エンジンに置き換えられていた。だが、素晴らしいパフォーマンスとロードホールディング性を備えている、と売り主は説明していたそうだ。
そのクルマをビル・マッキーが救い出す。マッキーは、ジャガーエンジンを搭載すれば素晴らしいスポーツ・レーサーになると考えた。そこでXK120のユニットを搭載し、シャシーメンバーを追加する。ボディはひどい状態で、正確にコピーを作り直し、ヘッドレストを追加した。完成したクルマはその後英国のほか、フランスやドイツのオーナーを転々とし、2008年にドイツのバート・ホムブルクに在住する、エンスージャストでレーサーのチャーリー・ウィレムスが手に入れる。
ウィレムスはストリームライン・ボディを見事にレストアし、数年間はジャガーエンジンのままでレースを楽しんだ。しかし、いつかはアルファ・ロメオのエンジンに戻したいと考えていた最中、オーストラリアで合致するユニットが見つかる。
エンジンは長い時間を掛けて細部までレストアされ、クランクシャフトとコンロッドはオリジナルだが、ピストンとマニフォールドは新しいものが組み付けられた。そしてHWアルファとして、今もレースに参加している。