モータースポーツ黎明期 HWM社の一部始終 ストリームラインとクーペ 後編
公開 : 2019.09.08 16:50 更新 : 2020.12.08 10:56
HWM社の歴史
HWM社の歴史を振り返ってみたい。括弧の数字は生産台数で、述べ19台のシャシーが製造されている。今回紹介したのは、1948年のストリームラインのレーサーと、最後のクーペとなる。
1948年:ストリームライナー(1)
1949年:オープンホイラー。オフセットしたコクピットに取外し可能なサイクルフェンダー付きで、スポーツカーとしても出場。マンクスカップでヒースが優勝している(1)
1950年:オフセット・シングルシーター3台の構成で6カ国を転戦。モスやマックリン、アベカシスなどがドライブ。フロンティア・グランプリで優勝したほか、モスはフォーミュラ1バリ・グランプリで3位に入賞する(4)
1951年:純粋なF2シングルシーターとして4台構成で欧州各国で26戦にエントリー。
1952年:シングルシーターを改良。モスがチームを離れ、コリンズが加わった。マックリンはシルバーストーン・インターナショナル・トロフィで優勝(4)
1953年:1952年のクルマを改良。1951年のF2シャシーに初めてジャガー製エンジンを搭載したクルマは、アベカシスのドライブで好成績を収める。
1954年:1952年と1953年のシャシーに手直しを加え、F1に参戦。その後ジャガー製のエンジンに載せ替えて、グッドウッドで売却された。1951年のシングルシーター用シャシーを流用し、さらに3台のスポーツカーを製造。
1955年:シリーズ2シャシーとして、小型で軽量なシャシーにジャガーのエンジンを搭載し、アベカシスがドライブ(1)
1956年:2台目のシリーズ2シャシーを製造するも、ミッレ・ミリアでクラッシュし、ヒースはこの世を去る(1)
1957年:フィル・スクラッグのためにジャガーエンジンのヒルクライム用レースカーを製造。クーペの製造も試行するが、量産化せず(2)