メルセデス・ベンツSLRマクラーレン スーパーカーを夢見たグランドツアラー 前編
公開 : 2019.09.29 07:50 更新 : 2020.12.08 10:56
ミレニアム時代にメルセデス・ベンツとマクラーレンとのコラボレーションによって生まれた、メルセデス・ベンツSLRマクラーレン。現役時代は賛否両論あったクルマですが、誕生から16年がたった今、その孤高のアイデンティティを振り返ります。
カニエ・ウェストとパリス・ヒルトンも所有
フェルナンド・アロンソとカニエ・ウェスト、パリス・ヒルトンに共通するところは、ビリオネアということ以外、何があるかおわかりだろうか。おそらく、という前置詞付きながら、3名ともにメルセデス・ベンツSLRマクラーレンを所有していたことがあるのだ。F1のチャンピオンや世界的なラッパー、ホテル王のテレビスターを魅了したクルマでもあり、賛否両論を呼んだクルマでもある。
発表当時は、技術的に最も洗練されたスーパーカーとしての評価を得ることはできず、エンジニアが自負するところは安全性だったようなクルマ。なぜ評価の分かれたSLRマクラーレンが誕生したのだろうか。それは、1999年のデトロイト・モーターショーで発表された、ビジョンSLRコンセプトから始まった。
とにかくメルセデス・ベンツにとっては「明日のシルバーアロー」として主な目的は果たせたはず。ミレニアムを迎えるに向けた新しいデザイン言語を具現化し、R129型SLの後継モデルとして2001年に登場したR230型SLのイメージリーダー的な役目を果たした。加えて新技術の実証実験でもあり、新しいメルセデス・ベンツ製スーパーカー、SLRの礎を築くことにも成功したといえる。
ビジョンSLRを生み出すにあたり、メルセデス・ベンツのデザイナーは温故知新といえる表現を模索した。スターリング・モスがドライブし、1950年代を通じて大きな成功を収めた、メルセデス・ベンツ300SLRだ。F1マシン、W196のエンジンを流用し、当時最先端の技術が盛り込まれた名車としてご存知の読者も多いだろう。
量産化の責務を受けたのはマクラーレン社
ビジョンSLRコンセプトのスタイリングからは、明確にその血筋を見て取れる。長いボンネットと、フロントタイヤの後ろに穿たれた大きなエアベント、滑らかなカーブを描いたリアエンドなどは、オリジナルの300SLRクーペを現代的に解釈したものだろう。
もちろんドアは、電動式になってはいるものの、ガルウイング(バタフライ)。低い位置のフロントスポイラーには2本の縦方向のリブが走り、1998年にF1グランプリでドライバーズ・チャンピオンを獲得した、ミカ・ハッキネンのマシンのフロントエンドを思わせる。
エンジンは5.4LのV8エンジンで、Sクラス譲りの一般的なものだったが、流線型を描くボディの内側には、量産型SLRだけでなくR230型のSLにも搭載される、数多くの革新技術を盛り込んでいた。
例えば、電動油圧ブレーキ。2001年に量産化されるまでは「センストロニック・ブレーキ・コントロール」と呼ばれていた技術だ。複数のコントローラーが組み込まれ、様々な状況に応じて最適なブレーキ圧を演算。極めて高温にも耐える繊維強化セラミック・ディスクブレーキローターを採用し、並外れた制動力を発揮した。
コンセプトカー最大の注目ポイントは、複合繊維素材とアルミニウムを用いたシャシーだろう。極めて高いボディ剛性を確保しながら、一般的なスチール製のモノコック・シャシーと比較して重量は40%も削ることができている。
メルセデス・ベンツの期待がかかったビジョンSLRコンセプトを、ショールーム・モデルへと具現化する責務を受けたのは、マクラーレン社のゴードン・マレー。コンセプトカーは技術的な提案の場ではある。だがビジョンSLRコンセプトはプロトタイプというより、単なるデザインスタディに過ぎないことにマレーは気付いた。