優雅に走るスポーツカー シボレー・コルベットC1とメルセデス・ベンツ190SL 前編
公開 : 2019.10.05 07:50 更新 : 2020.12.08 10:56
アメリカ人でも扱いやすい「SL」
1953年に回転ステージで、美しくカーブしたフロントガラスを持つコルベットを発表したGM。俳優クラーク・ゲーブルの傍らで、ショートボブの女性が肩にもたれかかるような、そんなイメージのカップルが高速道路を流したり、大通りを巡ったり、ドライブインで休憩したのだろう。
だが当初のコルベットC1は、強風に髪がなびく以前に、ソフトトップを始めとして天候変化からドライバーを守る装備は考えられていなかった。サイドガラスもなくフロントガラスは低い位置でカットされ、2人はほとんど露出した状態で走った。スタイリッシュなクルマだが、おしゃれなカップルは快適に運転していたのだろうか。
一方でメルセデス・ベンツはより真剣にスポーツカーを考えていた。すでにW198型の300SLが世界中のレースで活躍していた時代だ。ヘルマン・ラングとフリッツ・リースのふたりは1952年のル・マン24時間レースで1・2フィニッシュを決め、カール・クリングもメキシカン・カレラ・パナメリカーナ・ロードレースで優勝している。
プロのレース参戦を前提としたクルマだった300SL。オーストラリアで生まれアメリカでビジネスを手掛けていたマックス・ホフマンは、平均的なアメリカ人には少々手に余ると考えていた。そんな時、300SLが量産される計画を知ると、190SLというアイディアを思いつく。ベビー300、300ライトなど色々呼び方もあるが、豪華でスポーティーで扱いやすいクルマだ。
190SLの40%はアメリカ市場へ
ダイムラーの取締役会で、300SLと190SLの2台が1955年に発売することが決定すると、そこからの開発はシボレー以上に急ピッチで進められた。1953年の9月に量産が決まると、翌年の2月に開催されたニューヨーク・モーターショーで発表されたのだから。
1954年のニューヨークで、レースでの活躍で名を轟かせた300SLだけでなくジュニア版190SLが発表されると、世界は驚いた。300SLを想起させるボディデザインの内側には、メルセデス・ベンツのサルーン、ポントンのフロアパンを短くしたものが採用されており、ホイールベースは300SLと同じだった。
なだらかなコブを持ったボンネットを開けると、1897ccのOHC 4気筒エンジンが収まっている。ソレックス製キャブレターがサイドドラフトで2基搭載されているが、最高出力はわずか106ps。
300SLのユニットとは異なるものの、ボアは85mmと共通。4気筒エンジンの方が300SLよりもショートストローク型で、4速シンクロ・トランスミッションは、パントンと同じものだった。
マックス・ホフマンは、300SLと190SLがアメリカで売れると信じていた。実際、1963年に生産が終了するまでに2万5881台の190SLが製造されたが、その40%はアメリカへ輸出された。オーナーにはマイルス・デイビスにグレース・ケリー、イングリッド・バーグマンなど著名人が揃っている。
シボレー・コルベットC1とメルセデス・ベンツ190SLの試乗内容は後編にてお伝えしよう。