サーキットから公道へ ジャガーDタイプとアストン マーティンDB3S 後編
公開 : 2019.10.13 16:50 更新 : 2020.12.08 10:56
レーサーからの支持があつかったDB3S
カーブの多いサーキットでは、DタイプよりもDB3Sの方が優れていたとモスは話している。「メルセデス・ベンツ300SLRからDB3Sに乗り換えると、ずっと小さく軽く、運転も簡単に感じられました。ニュルブルクリンクのようなサーキットでは、DB3Sの軽快さと、SLRの信頼性とスピードが組み合わせれば、完璧なクルマになったでしょうね」
スターリング・モスのジャガーDタイプに対する思いは、戦歴で悪く色づけられている可能性もある。彼が唯一Dタイプでフィニッシュできたのは、1954年のダンドロッド・ツーリストトロフィーだったが、油圧不足で不調となり18位で終わったからだ。
「美しいジャガーでした。もしかすると何よりもカリスマ的かもしれません。ル・マンのために作られた精密な専用マシンで、一般道や空港跡地のサーキット向きのクルマではありません。Cタイプと比べればDタイプは明らかに丈夫で速く、正確性も優れていましたけれど」
「ル・マンやランス・グーなどの滑らかな高速コースでは有利でしたが、ダンドロッドなど路面状態の悪いサーキットでは、操縦性や反応の良さではDB3Sには及ばなかったと思います」
レーサーでモータージャーナリストのポール・フレールも、ジャガーとアストン マーティンの両車を運転している。1955年にはピーター・コリンズとともに、アストン マーティンでル・マンで2位入賞を果たした人物だ。「レースの半分以上は雨でしたが好調でした。力不足のアストン マーティンにはむしろ合っていました。DB3Sの運転を本当に楽しめました。よりレーシングカー的でした」
パワーがないぶん、トレーニングになった
「ジャガーDタイプは運転が簡単でフレキシブルで、ツーリングカー的でしたね。アストン マーティンはうるさく、硬く、エンジンは柔軟性がなく、変速も難しいものでしたけれど。Dタイプのブレーキは軽く良く効きましたが、アストン マーティンはペダルを強く踏み込む必要もありました」 と語るポール・フレール。
アストン マーティンで名を馳せたレーサーのトニー・ブルックスはDB3Sの魅力をこう語っている。「当時優れたマシンは何台かありましたが、SB3Sもその1台です。ハンドリングもブレーキングも優れていましたが、ジャガーやフェラーリと戦うにはパワーで苦労しました。直線では常に劣勢でしたが、アストン マーティンを限界まで攻め込んで走らせることは、良いトレーニングにもなりました」
ブルックスは果敢に走り、1956年に参戦したニュルブルクリンク・ノルドシュライフェのレースでは、チームメイトより16秒速く周回し5位で入賞している。「ニュルブルクリンクは好きでした。DB3Sの操縦性が活かせ、競い合うのも楽でした」
アストン マーティンDB3SとジャガーDタイプは、ともに際立った特徴から筆者のお気に入りで甲乙が付けがたい。アストン マーティンの操縦性のバランスと、ジャガーの圧倒的なスピード。Dタイプの型破りな美しく魅惑的なボディラインにも引かれるが、DB3Sの貴重でクラシカルな存在感も魅力的だ。
わたしのヒーロー的存在といえる、ピーター・コリンズがレースを戦ったマシンを所有する価値は比較にならないほど特別なものだ。仮にどちらかを選ぶとしたら、アストン マーティンとなるだろう。2シーターとして使え、確固たる歴史を共有できるという価値は、他にはかえがたい。