斬新すぎたデザイン 3代目ビュイック・リビエラ ハリウッドの名脇役 前編
公開 : 2019.10.20 07:50 更新 : 2020.12.08 10:56
フェラーリとロールス・ロイスの良いとこ取り
1963年に登場した初代のビュイック・リビエラは、元はキャディラック・ラ・サールIIとして開発されたクルマ。XP-715というコードネームで開発され、キャディラックによって却下されるも、フォード・サンダーバードのライバルとしてビュイック・ブランドが拾い上げる。
一説では、クリーンでシャープなボディラインのデザインと高性能との組み合わせは、ビル・ミッチェルによる要求だったという。フェラーリとロールス・ロイスの良いところを組み合わせる、という希望だったようだが、なかなか敷居の高い願いだ。
3年後にリビエラはモデルチェンジ。1966年から1970年の2代目もエレガントなクルマだ。だが沿道の視線を釘付けにするようなアピアランスは備わらず、子供の注目を集めることもなかった。
そんな反省を踏まえて、1971年に登場した3代目リビエラは、ビュイックのモデルの中でも最も物議を呼ぶエクステリアデザインをまとっていた。逆スラントしたノーズには巨大な折れ曲がったバンパーが付き、1930年代のアメ車を彷彿とさせる過剰なボートテールなど、極端に大胆なスタイリングを得ている。
1971年型のデザインは、ビル・ミッチェルもかなり力が入っていたはずだ。これまでと異なり、3代目リビエラは初めからビュイックのモデルとして計画された。ボディサイズがここまで大きくなることは想定外だったろう。全長は5545mmで、全幅は2032mmにも達する。
賛否両論を招いた大胆なデザイン
当初の計画では、GMのコンパクトなAボディ・プラットフォームを用いて生産するはずだった。しかしコストの都合で、ビュイック・ルセーバーと同じ大きなBボディ・プラットフォームを用いたデザイナーを求められた。
ビル・ミッチェルは後に「あまりにも大きくなり、スピードボートではなく、タグボートになってしまった」 と話している。コルベット・スティングレイのようなファストバックも特徴ではあるが、リアガラスは左右分割ではなく、突き合わせで接合された大きな1枚もの。
ミッチェルがチーフデザイナーだったが、実際に手を動かしたのはジェリー・ハーシュバーグ。1964年からGMに在籍し、後にビュイックのデザインスタジオ2でチーフデザイナーとなった人物。ビル・ミッチェルのアイデアを具現化する重要な役目を果たした。
「クルマはややエキセントリックに見えました。でも、コルベットもキャディラックの大きさに伸ばしたら、奇妙に見えるでしょうね。ミッチェルはクラシックなスタイルが欲しかったのです。議論を招くようなデザインも好きでしたね」 とハーシュバーグはインタビューに答えている。
スタイリングは良く練られているといえ、傾斜したテールと大きくえぐられたウェストラインは、「スウィープスピア」を再解釈し強調されたもの。だが賛否両論だった。広報資料には「近年でも最も大胆なデザイン」と表現されていたが、後にジェネラル・マネージャーとなったリー・メイズは嫌いだと個人的に話していたそうだ。
その流れを受けて1973年に発表された4代目リビエラは、デザインの大胆さは一気に抑えられた。
後編では、3代目リビエラについてさらに詳しく見ていこう。