コンパクト・トリオ 英国メーカーの考えた未来 A40とアングリア、ヘラルド 後編
公開 : 2019.11.09 16:50 更新 : 2020.12.08 10:56
最もエキサイティングなスモールカー
フォード・アングリア105Eが質実剛健過ぎると感じたドライバーには、上級の107Eも用意された。基本的には4ドアボディに105EのOHVエンジンが搭載されたクルマだ。105のテールフィンが派手だという人向けに、なだらかなリアデザインの100Eも存在する。
縮小されたアメリカ車のようなフォード・アングリアは、英国での人気は程々。だがボディの造形は良くバランスが取れている。アメリカのフリーウェイの精神を持ち込もうとしたのか、ボンネット開閉レバーにはアメリカ式に「フード」と記されている。
「世界で最もエキサイティングなスモールカー」とうたわれたアングリアには、当然のように、クロームメッキで飾られたデラックスが追加された。1961年にはバンやステーションワゴンも追加。1962年には1.2Lエンジンを搭載した123Eスーパーも登場する。
工場はロンドン東部のダグナムからリバプールの側のヘイルウッドへと移転しながら、1967年まで延べ100万台以上が生産された。「1966年までに、フォードはアングリアを通じてコスト管理を進めたことがわかります。インテリアは質素で、オプションのリストもシンプルなものでした」
23年前に元オーナーからデラックスを購入したバーンズが指摘する。以前はジャガーの従業員で、退職をきっかけに手に入れたという。
アングリアには、明らかに1950年代後半らしい雰囲気がある。時代を写し込んだデザインを獲得した105Eは、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」がアメリカでヒットした1963年も生き抜いた。
自動車と社会の発展を予見したトリオ
「コークボトル・スタイル」をまとったボクソール・ビバHBが登場する頃には、さすがに古びて見えるようになったが、フォードは固定客の形成に成功していた。「実用的で信頼性も高く、運転性も優れています。とても活発です」 とバーンズが話す。
フォード・アングリア105Eを今乗ってみると、アメリカの映画監督でイギリスに亡命した、ジョゼフ・ロージーの映画の予告編を見ているようだ。丸みを帯びたボディラインに、ホワイトウォール・タイヤ。どこからかマリンバが染み入るBGMが聞こえてくる気がする。
このコンパクト・トリオの存在による影響は、1959年から60年代にかけての、英国の街を写したフィルムを見れば良く分かる。古びたオースチンFX3と並ぶ、オースチンA40やトライアンフ・ヘラルドの黒塗りのタクシーは、自動車の明るい未来を見せてくれていた。
英国のスリラー映画、ネバー・レット・ゴーにフォード・アングリア105Eが登場するが、それは西ロンドン界隈の別の情景を描いているようだ。ちなみに映画ハリー・ポッターにもアングリアは登場している。
英国の作家、フィリップ・ノーマンは1950年代後半はまったくスタイルのない時代だった、と説いている。けれどオースチンA40とフォード・アングリア105E、トライアンフ・ヘラルドは、その後の10年間の自動車と社会の発展を予見していた。手に届く価格の、垢抜けたスタイルをまとって。