【ビートルがベース】知ってる? WDデンゼル1300 ポルシェ356のライバル 前編
公開 : 2019.12.07 07:50 更新 : 2020.12.08 10:56
ビートルの2倍の馬力を獲得
エンジンも内部構造はフォルクスワーゲンに依存していたものの、大幅なアップデートが与えられていた。デンゼルはカウンターバラストを備えたクランクシャフトを開発。ピストンとシリンダーはマーレ社製のものを用い、アルミニウム製のコンロッドの試作も行っている。
アグレッシブなプラグ角を持ち、冷却用のフィンを増やした独自のシリンダーヘッドも設計。ロッカーアームやプッシュロッドもオリジナルを開発している。すべてはシンプルなフォルクスワーゲン製のクランクケースに組み合わされた。
これらの開発を経て、フォルクスワーゲン製ユニットの控えめな36psという最高出力を、数年で2倍に高めることに成功。パフォーマンスとして結果を出す。自動車雑誌のロード&トラックでは、「1300ccのスポーツカーレースで勝ちたい本物のエンスージァストが、充分なチャンスを得られる小さな宝石」 と評している。操縦性も高く、レースだけでなく都市部でも運転は簡単だった。
デンゼルの生んだロードスターの血筋は、いま見ても明らか。傾斜した丸いヘッドライトは、もとがビートルであることを主張している。ボンネットのラインは356とは異なる、空力的にも考えられたカーブを描いている。
近寄って車内を覗くと、直径の大きな3スポーク・ステアリングホイールと、高く伸びたキノコのようなシフトノブが目に入る。これらもフォルクスワーゲンのものだ。サイドシルの大きいボックスセクション・シャシーはビートルの改造に時間を投じた人なら目にする光景でもある。
ラリーで実力を発揮したWDデンゼル1300
燃料タンクやバッテリー、スペアタイヤはフロントのボンネット内に集約。リアタイヤの後ろに搭載される空冷フラット4エンジンとバランスを取り、前後重量配分は44:56にまとめている。
快適装備はほとんどなく、荷物置き場も充分にない。WDデンゼルはツーリング目的というより、レース参戦を前提としたクルマだった。
シャシー番号DK32のWDデンゼルの初めのオーナーもレース参戦を考えていた。ポルトガルの貴族で水兵でもあったアントニオ・ゲデス・デ・ヘレディアは、偶然ヴォルフガング・デンゼルと出会う。それをきっかけに、ヘレディアはデンゼルのロードスターの輸入業を始める。1953年に初めてデンゼル1300がポルトガルの地に入ると、1番目のオーナーとなった。
DK32は翌年、排気音の大きい1500ccに換装し実戦へ投入される。ポルトガル人の情熱的な仕事ぶりは想像に硬くない。デンゼルの優れた実力を証明し、クルマへの関心を高めたいと考えていたのだろう。
いくつものラリーやレースへ参加したが、1956年8月にポルトガルで開かれたサンペドロ・デ・モエル・ラリーでは、クラス優勝と総合2位の成績を残している。WDデンゼル1300の改良は10年以上続けられ、ヘレディアとデンゼルとの交流もあって、1959年には、複数のアップデートを受けるためにクルマはウィーンへと戻された。