【最初にして孤高】BMW Z1 妥協を排した未来 市販されたコンセプトモデル

公開 : 2019.12.07 18:10  更新 : 2021.10.09 22:42

評価が高まる、類稀な存在

Z1のプロジェクトは1985年の初めにスタートし、ちょうど1年後にはスタイリングを含めた設計が完了していた。

1986年の中頃にZ1の存在が一般に公開されると、多くのファンが「市販されるはずがない」と思いながらも、BMWが久しぶりに放つオープン2シーターにエールを送ったのである。

分厚いサイドシルとドアを下ろした姿が印象的なZ1。コンパクトなボディに直6エンジンを詰め込んでおり、無駄なスペースは一切ない。リアボディの幌の格納システムのクオリティも非常に高い。15インチのホイールがボディの小ささを物語る。
分厚いサイドシルとドアを下ろした姿が印象的なZ1。コンパクトなボディに直6エンジンを詰め込んでおり、無駄なスペースは一切ない。リアボディの幌の格納システムのクオリティも非常に高い。15インチのホイールがボディの小ささを物語る。

Z1市販化の声は次第に高まり、1987年の8月にはついに市販化が発表されている。これこそまさに「勢いのある時代」のなせる業だと思う。

BMW Z1はほとんど手作りだったため、1日の生産は20台以下だった。それでも3年ほどの期間に8000台がラインオフされている。

Z1が日本市場に正規輸入されることはなかった。それでもアルピナがエンジンとアシをチューニングしたアルピナ・ロードスター・リミテッドエディションがニコル・オートモビルズによって正規輸入されている。

Z1の新車価格は8000DMで、これは標準的な3シリーズの倍以上の価格だったが、その特殊性ゆえ、儲けはほとんどなかったといわれている。

現在ではパーツの供給も限られており、特殊な塗装を含め維持は容易ではない。それでもZ1は高い人気を博しており、価格は高騰しはじめている。

クルマの生い立ちや内容を考えれば、これは当然のことだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    吉田拓生

    Takuo Yoshida

    1972年生まれ。編集部員を経てモータリングライターとして独立。新旧あらゆるクルマの評価が得意。MGBとMGミジェット(レーシング)が趣味車。フィアット・パンダ4x4/メルセデスBクラスがアシグルマ。森に棲み、畑を耕し蜜蜂の世話をし、薪を割るカントリーライフの実践者でもあるため、農道のポルシェ(スバル・サンバー・トラック)を溺愛。

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