【たった1度の優勝で散った】フォーミュラ1のレーサーまとめ 後編
公開 : 2019.12.21 20:50 更新 : 2021.07.12 18:32
フランソワ・セベール(1971年アメリカGP)
フランス生まれのフランソワ・セベールは、レースドライバーに求められるすべてを備えていた。ハンサムなルックスにカリスマ性。間違いのないドライビング・センス。
ジュニアフォーミュラでも輝かしい戦績を残し、フランスF3では彼の名を冠した賞が設けられるほど。カンナムでも優勝し、1972年のル・マンでは、ハウデン・ガンレイと並んで2位入賞を果たしている。
セベールとしては最初で最後のF1での優勝となるのは、1971年のアメリカ・グランプリ。2年後、ティレルのマシンで6度の2位入賞を果たすが、ジャッキー・スチュワートの引退に続くかたちで、彼のF1でのキャリアにも幕を閉じてしまう。
1973年シーズンの最終レースとなるアメリカ・グランプリの予選。彼はジャッキー・スチュワートに続いて、ティレルのエースドライバーになる準備も整っていた。だが1973年10月、事実はまったく異なる結果を招く。
ワトキンズ・グレン・サーキットでの予選走行中、最後の1周でセベールはクラッシュ。マシンが切断されるほどの大事故で、生き残ることすら難しい状態だったという。わずか29歳での出来事だった。
マニアな小ネタ
フランソワ・セベールの義理の兄弟は、レースドライバーのジャン・ピエール・ベルトワーズだ。
グンナー・ニルソン(1977年ベルギーGP)
スウェーデン人のグンナー・ニルソンは、ヨーロッパやアメリカで開かれていたレース、
フォーミュラ・スーパー・ヴィーでキャリアをスタート。F-3に移ってからは多くの勝利を上げた。1975年にはF-3英国チャンピオンシップを獲得している。
その翌年、ニルソンはマリオ・アンドレッティとともにチーム・ロータスのドライバーに選ばれる。1977年、規定的には際どかったグランドエフェクト技術を搭載したロータス78をドライブ。
シーズン前半の成績は振るわなかったものの、ゾルダー・サーキットで開かれたベルギー・グランプリではフェラーリをドライブするニキ・ラウダを交わし、見事な初優勝を挙げた。レース中、緩んだタイヤを締め直すために想定外のピットストップをしたのにも関わらず、優勝を掴んだことも大きい。
その後、フランス・グランプリとイギリス・グランプリでポイントを獲得するものの、以降の成績はまったくの不振。F1でのキャリアが終わりを迎えようとしていることは明らかだった。
1978年、友人のロニー・ピーターソンはイタリア、モンツァ・サーキットでの事故で他界。その5週間後の10月に、ニルソンもがんを患いこの世を去った。
マニアな小ネタ
ニルソンはモータースポーツを始める以前、スウェーデン海軍の潜水艦で無線技師を務めていた経歴がある。