【ルノー製ターボマシンの代名詞】5ターボ2と5ゴルディーニ・ターボ 前編
公開 : 2020.01.19 07:20 更新 : 2021.02.02 12:41
F-1で強さを示したルノー製ターボエンジン
自然吸気のゴルディーニが英国の道を駆け回り始めたのと同じ頃、ルノーはF-1でも世界中を沸かせていた。当時圧倒的な強さを示していたフォード・コスワース製のDFVターボエンジンに対し、ルノー製のシングルターボ1.5L V6エンジンが勝利を挙げるようになっていた。信頼性は低かったけれど。
1977年から1978年シーズンは、16戦中13回のリタイヤ。ルノー製エンジンが唯一ポイントを獲得できたのは、ウォトキンズ・グレン・サーキットで開かれたアメリカ・グランプリだけ。信頼性の低さは、ル・マンでポルシェに負けることも意味していた。
しかし、レーシングドライバーのジャン・ピエール・ジャブイーユは翌年以降、2.0LのV6ターボエンジンで巻き返しを披露する。素晴らしい完成度を得たエンジンは、ルノーのF-1マシンへ注目を集め、世界中から称賛されることになった。
「当時の英国人は、ターボが正しい選択だと考えていませんでした。うまく機能しないと思っていたんです。しかし、F-1での活躍を見て、誰もが5ターボを運転したいと思うようになったんです」 かつて5ターボを所有していたアルヌーが話す。
1979年、ルノーRS01が前半6戦で完走できたのは1度きりだったが、新しいエンジンのRS10が投入されると、第8戦のフランス・グランプリではオールフランス体制で初優勝を掴む。ドライバーはフランス人のジャン・ピエール・ジャブイーユで、ルノー製のエンジン、ミシュラン製のタイヤ、エルフ製のオイル。すべてがつながった。
ベルトーネによる印象的なリアセクション
ルノーRS10はKKK製のツインターボチャージャーを搭載し、F-1を変えることになる。その20年前にクーパーが変えたように。ルノーは、この成功を利用したマーケティングを展開する。
期待の集まる、ターボを搭載したルノー。ベースとして、中型のハッチバック・モデル、ルノー20ではなく、やや前衛的なコンパクトハッチバックの5が選ばれた。平凡なコンパクトカーの中にあって、ターボは当時求められていた活気を与えてくれるものだった。
加えてルノーは「プロジェクト822」 と呼ばれる計画により、世界ラリー選手権への参戦も目指していた。先見の明を持っていたジャン・テッラモルシは、1976年に既にプログラムを始動していたのだ。
ところが成功を目にすることなくジャンは他界。ル・マンで優勝経験のあるジェラール・ラルースがその後を引き継いだ。1976年8月に心臓を患い命を落とした1ヶ月後、ルノー5ターボのプロトタイプが完成したという。
スタイリングは、ルノー社内のディレクションのもと、ベルトーネ社が担当。トリノの手掛けたデザイン最大の注目ポイントは、デザイナーのマルク・デュシャンによる印象的なリアセクションだろう。デザインスケッチは5月に完成し、数ヶ月を掛けてマルチェロ・ガンディーニが石膏モデルを仕上げた。
心を掴まれたルノーの上層部は、モデルの戦略的な部分を担うクルマだとして量産化を決定。フランスのコーチビルダー、ユーリエ社がルノー5ターボの量産モデルを実世界へ届ける仕事を請け負った。