【これからどうなる?】カルロス・ゴーンの2020年、AUTOCAR英国の見方 予断を許さず
公開 : 2020.01.23 10:50 更新 : 2020.01.23 16:14
昨年末から世界中の話題をさらっているカルロス・ゴーンですが、彼の人生は今回の逃亡劇に負けず劣らずドラマチックなものでした。日産を救ったヒーローから、高級志向の独裁者へと姿を変えたと言われている彼のこれまでとこれからを改めて振り返ります。
まるでハリウッド映画
カルロス・ゴーンの2020年は逃亡の日々となるだろう。
数々の不正会計疑惑で起訴され、公判への準備を進めていると思われていた最中に実行された、彼の日本からの逃亡劇はまるでハリウッド映画のようであり、ベイルートでの情熱溢れる記者会見も同様に興味深いものだった。
多くの点で注目を集めたこの一連の出来事は、ゴーンの劇的なキャリアを反映していると言えるだろう。
彼は自らのやり方で、世界の自動車業界におけるもっともパワフルで興味深いカリスマのひとりの座に上り詰めたのであり、世界中にある122の工場で、47万人ものひとびとが、年間1000万台以上のクルマを作り出す帝国を率いるまでになったのだ。
この業界を代表するリーダーたちと同じく、ゴーンのキャリアもその始まりは慎ましいものだった。
彼が最初に成功を掴んだのは、フランスのタイヤメーカー、ミシュランで働いていた時のことであり、フランスとドイツの工場勤務からスタートした18年後、ミシュランの北米事業部門CEOへと就任している。
ルノーへの移籍は1996年のことだったが、そこで彼はルノーの業績を回復させるべく工場閉鎖や人員削減などを断行したことで、「コストキラー」のニックネームを授けられている。
だが、倒産の危機に瀕していた日産の株式43%をルノーが購入したことで、1999年、ルノーから日産に派遣されると、ここでゴーンは新たに「ミスター調整」という異名を受けることとなった。
まさにヒーロー 帝国の拡大
ゴーンの計画は、自動車業界に限らずどんな企業も成し得なかった驚くべき業績回復を実現するというものであり、わずか2年で日産を荒廃の淵から、収益性を備えた企業に生まれ変わらせるというものだった。
この計画を進めるなかで、ゴーンは外国出身者としては初めて日本の自動車メーカーを率いることとなったのであり、確かに日産の5つの工場を閉鎖し、2万1000人の雇用削減を行ったものの、数年のうちには日本で救世主と見做されるようになっている。
長年にわたってゴーンはまさにヒーローのような扱いを受けてきた。
2001年、彼の半生は日本でマンガに取り上げられ、2011年には、日本のリーダーとして誰が相応しいかというアンケートで7位にランクインするまでになっている。
ルノー・日産アライアンスが世界の自動車業界で確固たる地位を築くにつれ、彼の成功もさらに大きなものとなっていった。
2007年、ゴーンはアライアンスから少量生産ではないゼロエミッションEVのリーフを登場させている。
当初日産の英国サンダーランド工場で生産されていたこのクルマによって、ライバルに先んじてEV市場へと進出するとともに、世界でもっとも売れたEVの地位を獲得することに成功しており、彼は完全なEV社会の実現を夢見ていた。
一方でゴーンは自身の帝国をより大きくすることにも憑りつかれていたようだ。
2014年のルノーによるアフトワズ(ラーダ・ブランドのオーナーだ)買収に続いて、2016年には、日産が株式を購入する形で、当時苦境に喘いでいた三菱自動車のアライアンス入りを実現させており、2017年、この3社連合で年間生産台数1000万台の壁を突破している。