【アウディの前身アウトウニオン】DKWを中心に130台がリ・ユニオン 前編
公開 : 2020.02.02 07:50 更新 : 2020.12.08 10:55
アウディの前身となるアウトウニオンのDKW製モデルが一堂に会する、アウトウニオン・インターナショナル。第46回を数える、欧州では人気イベントです。英国で開催された2019年大会の様子を、参加車両とともにご紹介しましょう。
もくじ
ー第46回大会には130台のエントリー
ー1966年まで活躍した2スト3気筒
ー1600kmの距離を自走して参加した人も
ーアウトウニオン・ユニバーサル(1960年)
ーアウトウニオン1000SP(1962年)
第46回大会には130台のエントリー
1970年代なかばから、ヨーロッパの各地で順番に開催されてきたインターナショナル・アウトウニオン・ラリー。2ストロークエンジンを積んだ前輪駆動の愛らしいモデルが誕生したことを、多くの愛好者と共に祝ってきた人気イベントだ。
会場には2ストローク3気筒ならではの、のどかな響きと水色の煙が漂う。2018年はスイスで、第46回目の2019年は英国での開催となった。この国を代表する自動車コレクター、フレドリック・フォルケスタッド以外に、オーガナイザーとしての適任者はいないだろう。
「今回の英国では130台のエントリーがありました。115台のクルマと、15台のモーターサイクルです」 とフォルケスタッド。かなり遠方から車両を持ち込む参加者だけでなく、増え続ける自身のコレクションからもDKWや珍しいモデルを出展したという。
会場に並ぶ個性豊かな多様なクルマたち。DKWの複雑な歴史を映し出している。1906年に創業したDKW社は、主にオートバイを製造して成長。1920年代末になると自動車の製造に着手した。
1932年には、DKW社を含む4社が経営統合しアウトウニオン・グループへと発展。今のアウディのロゴマーク、4リングスの起源となっていることは、ご存知の読者もいるだろう。グループの中でDKW社は、主に乗用車を生産してきた。
1966年まで活躍した2スト3気筒
第二次大戦が終結し、DKWが初めて製造した自動車は2気筒エンジンモデルだった。その後1953年になると、流線型のボディをまとって、2ストローク3気筒エンジンが搭載される。
1958年にかけて、4ドアサルーンと3ドアエステート、珍しいカブリオレのボディタイプへ発展。湾曲したフロントガラスを持つボディで、アウトウニオンの名前を使用した初めてのモデルには、1.0Lエンジンを搭載。独立したシャシーを持つ構造だった。
最高速度は136km/hと、競争力も高いモデルだったといえる。ジム・クラークも、レーサーとしてのキャリアを積み始めた頃に乗っている。
1966年にDKW F102の生産が終了されるまで、2ストローク3気筒エンジン、美しいボディに仕上げられたクルマの動力源として頑張ってきた。今のアウディの基礎をなすクルマたちだといっていい。
英国ではDKW F102の価格は高く、かなり珍しいモデルだったが、1951年にDKWオーナーズクラブが誕生している。当時はまだ戦前のクルマも日常的に使用されていた頃だ。
第46回アウトウニオン・インターナショナルは、英国西部、サイレンセスターにある王立農業大学に本部が置かれ、11カ国から合計300名のオーナーが集結。フォルケスタッドによれば、ニュージーランドや南アフリカからの参加者もいたという。