【伝説のミウラがアルプスへ】ランボルギーニ・ミウラP400 ミニミニ大作戦 前編
公開 : 2020.02.16 07:20 更新 : 2020.12.08 10:55
最高速度273km/hの衝撃
フェラーリよりも優れたマシンを作ることを目指した、トラクターの生産で成功を収めていたフェルッチオ・ランボルギーニ。シャシーはジャンパオロ・ダラーラが、エンジンはジョット・ビッザリーニが設計を進めた。
それ以上に大きかったのは、カロッツエリアのベルトーネの存在。若いデザイナーのマルチェロ・ガンディーニは、息を呑むほど美しいボディラインを生み出す。ドラマチックなスーパーカーの黄金期が始まった。
1965年のトリノ・モーターショーで展示されたミウラのシャシーは、1年後、ジュネーブ・モーターショーで周囲を驚かせるボディをまとって登場。1967年の初めにはボローニャ・サンタアガータの向上から量産モデルがラインオフしている。
最高速度273km/h、現実的には262km/hだったが、そのスピードの衝撃は大きかった。道路を走るロケットマシンの生産計画は、当初年間20台だったが、すぐに108台へと増加。
それでも、多くのエンスージァストが憧れる、路上ではほとんど目にすることがない貴重なクルマではあった。それは今でも変わらない。映画の序盤で披露した優れた走行性能は、伝説的な存在とするのに一役買ったはずだ。
峠に向う麓の町、サイント・ルエンイを出発すると、出くわすクルマの大半はフィアット・パンダ。「ミニミニ大作戦」の撮影に用いられた街だが、地元の人達は映画のことを知らないようだった。
英国ナンバーのジャガーXJ40が追いかけてくる。咆哮を響かせるミウラとの共演は、まるで映画を再現したかのようで面白い。
映画と同じルートを同じミウラで
モルッツィはランボルギーニで40年近く働いた。1966年7月から、2004年の7月まで。ミウラに乗るのは相当に久しぶりとのことで、走り始めは慎重。トランスミッションはまだ温まらず、ダブルクラッチで変速しながら道に慣れていく。
油温が高まると同時に、モルッツィも熱くなる。峠を登るに連れ、回転数も高くなっていく。「記憶にある通りのサウンドですね」 ミウラが歌い始めると、笑顔が溢れる。アクセルを戻すと、破裂音の後にマフラーがぐずる。
ウインターバケーション用の施設は休眠中。映画のようなランドマーク、モンブランが視界に入ってくる。素晴らしい景色に、最高のクルマが加わる。なめらかにカーブを描くボンネットの峰に、前方の山々が写り込む。
自然の景観には大きな変化はないようだが、道路にはガードレールがだいぶ増えた。取材日はまだ暖かい季節で、路面に雪はまったくない。この撮影の数週間後には、峠は冬期通行止めに入ってしまう。
金属製のシフトゲートは、レストア時にオリジナルと同じ金色に再仕上げされている。6つの谷を細身のシフトレバーが往復する。当時は顧客管理をしていたモルッツィだが、なぜ映画の出演が決まったのか、思い出してくれた。
「当時は、顧客とクルマの登録管理をしていました。コマーシャル部門のウバルド・スガルツィがベルトーネへ発注し、クルマが工場へ届くと、色の組み合わせやエンジン、シャシーナンバーを書き記していくのが仕事でした」