【伝説のミウラがアルプスへ】ランボルギーニ・ミウラP400 ミニミニ大作戦 後編

公開 : 2020.02.16 16:50  更新 : 2020.12.08 10:55

イタリアの生んだ最高傑作のひとつ、ランボルギーニ・ミウラ。映画「ミニミニ大作戦」のオープニングへ出演したオレンジ色のミウラは、長年所在不明でした。今回レストアを終え、名シーンと同じアルプスの道に咆哮を響かせました。

鍵を握ったホワイトレザーのシート

text:Alastair Clements(アラステア・クレメンツ)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)/Paramount Pictures(パラマウント・ピクチャーズ)/David Wynn-Jones(デビッド・ウィン・ジョーンズ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
「白いシートが汚れると困るので、工場へは違うシートを入れるようにお願いもしていました。でも、映画の中でもヘッドレストは白です」 とミニミニ大作戦に出演したミウラを、モルッツィが振り返る。

このシートは、クルマの履歴を確認する上でとても重要なポイントだ。初期の多くのミウラと同様に、シャシーナンバー3586番のミウラにも、当初シートはブラックビニールが指定されていた。だがシャシーナンバー165番からは、ホワイトレザーをオプションで選べるようになっていた。

ランボルギーニ・ミウラP400
ランボルギーニ・ミウラP400

ブラックビニールだったシャシーナンバー3586のミウラも、途中でホワイトレザーへ変更される。1968年6月に製造されたミウラで、ロッソのボディは3台。その中でホワイトレザーのオーダーは1台のみだったのだ。

見事映画の冒頭シーンを演じきったシャシーナンバー3586は、1968年7月2日にローマのディーラーへと届けられた。7名のイタリア人が順にオーナーとなり、2013年にフランスへ移る。

販売を仲介したエリック・ブルタンが、珍しい色の組み合わせに気づき、映画の出演車両ではないかという噂が浮上。その後、英国人オーナーとなったキース・アシュワースとイアン・ティレルが、調査を行っている。

2018年後半にミウラはリヒテンシュタインへ移り、現オーナーのフリッツ・カイザーが手に入れる。以前の調査を手がかりに、更に詳細に検証が進められた。

過去の経緯はどうあっても、多くがブラック内装なこともあり、ホワイトレザーが車内を引き立てている。ステアリングホイールの正面には巨大なレブカウンターとスピードメーター。ダッシュボードの中央には、ドライバーの方をわずかに向いて、補助メーターが6つ並ぶ。

ガンディーニの手による最高傑作

トンネルが近づくと、モルッツィは天井を探り、ミウラのヘッドライトを立ち上げる。映画の中でミウラに牙を剥いたブルドーザーは、谷の下の工事現場から持ってきたものだった。今回は映画撮影とは違うから、怯える必要はない。

ヘアピンで片輪をバーストさせ、エンジンの回転数を上下させ、ワインディングは標高2480mの辺りで開けた。小さな目印が、スイスとの国境だと教えてくれている。1968年と同じように、今回もドライブはここで終了。

ランボルギーニ・ミウラP400
ランボルギーニ・ミウラP400

「仮ナンバーだったので、撮影時はスイスまで入国できなかったんです」 山々にかかる霧にフォトグラファーは目を奪われているようだが、もう一度ミウラの美しさを味わう。巨大なフロントセクションと、クラムシェルのリアカバーを跳ね上げる。

軽量化のために沢山の穴が開けられたシャシーがあらわになる。「ミウラの父は、ダラーラだったと思います」 モルッツィがつぶやき、才能あふれるエンジニアに敬意を示す。

確かに、不自然なほど低いボディは大きな成果だといえる。コンパクトで優れたパッケージングも素晴らしい。V型12気筒エンジンが、トランスミッションの上に横向きで搭載されていることが、大きく貢献している。ミニと同じ、といったら怒られるだろうか。

送れて登場したSとSVは、パワーが増強されリアトレッドも拡大。太いタイヤと大径ブレーキが組み合わされ、ドライバーからの支持は高い。しかし、オリジナルのP400が備える、ピュアなボディラインを楽しむことはできない。

ヘッドライトの上に生えるまつげ。そこからしなやかに伸びやかに広がるボディシェイプは、マルチェロ・ガンディーニの手から生まれた最高傑作といって良いだろう。

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