【ワイルド・スピードの世界、実在した】日本車やドラッグレース、密接な関係 作風変更の背景
公開 : 2020.02.11 18:50 更新 : 2021.10.09 23:55
その後、ドラッグレース・シリーズへ成長
当初、ホンダFFが中心だった、南カリフォルニアでの日系改造車トレンドだが、徐々に本格的な改造車が仲間入りしていく。
きっかけをつくったのは、日系改造部品メーカーやショップだ。
90年代後半時点で、すでに日本では改造車ブームに陰りが見え始めており、新しい市場として南カリフォルニアでのプチブームをかぎつけ、そこに油を注いで一気に全米規模のブームに仕立てようと企てた。
アジア系マフィアたちは、「ショー」で稼いだ資金を元手に、ドラックレース場を借りて独自のドラッグレースシリーズを立ち上げた。
ここに、日系改造部品メーカーやショップが、はるばる日本から遠征したり、LA近郊にアメリカ法人を設立してそこを拠点として、新生ドラッグレースに参戦するようになった。
アメリカではNHRAやIHRAなど、アメ車中心の古典的なドラッグレースシリーズがある。
一方で、アジア系アメリカ人たちは、日系改造車によるカルチャーを重んじて、参加者が気軽に楽しめて、さらに主催者として収益性が高いビジネスモデルの構築を狙った。
レースには、70スープラ、80スープラ、三菱3000GT(GTO)、R32GT-R、R33GT-R、ランエボ、WRXなど、FRやAWDのハイパフォーマンスモデルが次々に登場するようになる。
ところが、日系改造車ブームは、それほど長くは続かなかった……。
「TOKYO DRIFT」公開時、流れは変わっていた
南カリフォルニア発の日系改造車ブームは、ワイルド・スピード初作をきっかけに、全米規模のブームへと広がりをみせた。
一方で、大きな社会問題に発展した。
集団での暴走行為や、未許可のストリートドラッグで、地元警察に一斉検挙される事例が全米各地で発生。
また、市街地を走行中の日系改造車に対して、違法改造車としてその場で車両を没収されるケースも度々起こった。
ワイスビに刺激されて、日系改造車に手を出したアメリカ人たちが、アメリカのクルマ社会における法の厳しさに直面したのだ。
その結果、日系改造車ブームは、一時の社会現象としては2003年頃に沈静化し、日系改造メーカーやショップは相次いで北米事業から撤退した。
一方、ワイスピは、2匹目のドジョウ狙いで2003年の「X2」を公開。
第3作「TOKYO DRIFT」公開時の2006年には、北米での日系改造車市場は一時より縮小し、一部の愛好家の中で継続。中国や東南アジアを意識して、舞台を東京にシフトした。
さらに、2009年公開の第4作「MAX」からは、日系改造車の存在感は一気になくなり、アメ車主体の「スパイ映画っぽい」作品へと大きくシフトした。
2020年5月公開、第9作「ジェットブレイク」では、ハン復活など、シリーズ20年目突入による新たなる展開に期待が膨らむ。