【狂気のレーシング・ミニ】ツインカム・ターボからツイン・エンジンまで 前編
公開 : 2020.02.15 07:50 更新 : 2020.12.08 10:55
2. ミノウGT
1960年初頭に登場した、ボブ・ヘンダーソンのミノウGT。当時のサーキットで見られた中でも、最も独創的なスタイリングを持ったミニだといえるだろう。
SUが設計した、ミニ用のフィッシュ・キャブレターの製造で広く知られていたボブ・ヘンダーソン。チーム・ミノーという名前でレースにも出場し、ミニのチューナーも設立。1962年にこのボディ・コンバージョンをスタートさせている。
当時のAUTOCARによれば、「250ポンド(3万5000円)の費用で、ディスクブレーキからサンルーフまで備え、かなり装備は充実しています。貧乏人のGTとしてプランニングされたのが、新しいミニ・ミノウGTです」 と記されている。
ミノウGTは、基本的にはミニ・ピックアップ用の、逆スラントしたボディを改変したもの。英国サリー州のMPG&Hエンジニアリング社を通じて、595ポンド(8万5000円)のキットとしても提供されていた。1250ccのAシリーズ・エンジンも用意されていた。
ヘンダーソンはクーパーSのパワートレインを積んだミノウGTで戦い、1964年から1965年にかけて成功も収めている。実際に、何台がボディのコンバージョンを受けているのかは、明らかではない。
マニアな小ネタ
ボブ・ヘンダーソンは、後年にアーガイルGTと呼ばれるミドシップのスーパーカーを設計し、製造もしている。
3. ロテル・ミニ-ポルシェ
これまで誕生した最もエクストリームなミニといえば、トーレ・ヘレの情熱によって作られた、チューブラーフレームが組まれたシルエット・スーパーサルーンだろう。といっても、実際のミニの部分は殆どないといっていい。
ミニは、多才なカーデザイナー、レン・テリーによって大幅な変更を受けることとなった。インディ500を制したロータス38や、イーグル・ウエスレイク・グランプリカーなどの設計で腕をふるった人物だ。だが、ミニに関しては少々特殊なプロジェクトだったと思われる。
トーレ・ヘレは以前に、テリーへバイキングF3のレーシングマシンの設計を頼んでいたが、計画を変更。ミニのボディに収まる、スペースフレーム・シャシーの設計を依頼する。そこには、ポルシェ935のフラット6エンジンが、ミドシップされることになった。
ミニ-ポルシェは1978年に姿を見せ、1979年シーズンにスウェーデンでいくつかのレースに参戦。主にドライブしたのは、若かりしコニー・リュングフェルトだった。このクルマが、その後どうなったのかは不明だ。
マニアな小ネタ
このミニ-ポルシェは、レン・テリーにとってモータースポーツ界へ別れを告げるクルマとなった。後年にはフルール・ド・リスなど、戦前風ボディを持つ、ビンテージ・スタイルのバンを設計するようになった。