【狂気のレーシング・ミニ】ツインカム・ターボからツイン・エンジンまで 後編
公開 : 2020.02.15 16:50 更新 : 2020.12.08 10:55
8. コンプラン・ターボ・ミニ
英国で極めて俊足なウーズレー・ホーネットでレースキャリアをスタートさせたアレック・プール。その後ミニへと乗り換える。
彼は1969年の英国サルーンカー選手権で、エクイップ・アーデン・クーパーSをドライブし頂点をゲット。その翌年、ミニをベースに更に熱いマシンを計画し、過給器を積んだ初めてのミニ・レーサーを生み出す。
コンプラン社がスポンサーに付いていたミニには、1.3Lエンジンにターボチャージャーをドッキング。サーキットやヒルクライムで、サルーンボディのクルマを相手にするだけでなく、最前線に立つ戦闘力を見せつけた。
Aシリーズ・エンジンには高いブーストが掛けられ、最高出力は180ps以上にまで増強。通常のトランスミッションでは手が負えないほどだった。車重は通常のミニより127kgも軽量化され、最高速度は225km/hに届いたという。
特にデビューシーズンを飾った勝利は、このターボ・ミニのハイライト。フェニック・スパークで開かれたアイリッシュ・モーター・レーシング・クラブのレースでは、後ろからのスタートにも関わらず、優勝を果たしている。
このターボ・ミニは、後にフロント周りのボディに変更を受け、更に排気量が1430ccにまで増やされている。
マニアな小ネタ
アレック・プールは、チーム・スピードバードのもとでも参戦。技術がそちらにも流れ、後に共食いしあったと噂されている。
9. ゴードン・アレン・ツインミン
モータースポーツ誌に、冒険心を持ったエンジニアと書かれたゴードン・アレン。群れに属さず、流れを追わず、常に独自の視点でエンジンの開発に取り組んできた。
一度、自身が設計したDOHCのツインエンジン・レーサーのオートバイを生み出していた彼は、イシゴニスの想像を遥かに超えるスピードでミニを走らせることになる。
まず初めは、コスワース・フォードBDA製のシリンダーヘッドを持つ、独自の16バルブ5ベアリングユニットを開発。そこから最も有名な、ジャガー製ツインカム・ヘッドを組み合わせた排気量1.5Lのエンジンを2基搭載した、ツインエンジン・ミニ「ツインミン(ミニではない)」 を生み出す。
アレンはアルミニウム合金製のエンジンブロックにピストン、クランクなどを製造。ツインミンは1960年半ばにレース参戦し、ロッド・エンブリーのドライブで一定の成功を収めている。
さらにアレンはロング・ホイールベース版のミニも開発。Aシリーズ・ユニットを前後に搭載した別のツインエンジン・マシンも生み出している。
マニアな小ネタ
アレンはツイン・シリンダーを持つBDA派生型ユニットも開発。ミニのレースで活躍したピーター・デイがドライブし、1975年には9度の優勝を上げるなど、大きな成功を挙げている。