【相違の英国オープン・スポーツ】ロータス・エランとサンビーム・タイガー 前編

公開 : 2020.02.29 07:50  更新 : 2020.12.08 10:55

2台に共通するフォード製ユニット

40DCOEのウェーバー製キャブレターが載っているが、可能な限りフォード製のパーツが用いられたエラン。このエランとタイガーとを結ぶ共通点が、フォード製のエンジンとなる。

1960年代にトータル・パフォーマンスというテーマでモデル攻勢を仕掛けたサンビーム。フォード製の4.3LのV8エンジンを、初期の3000台へ搭載することも快くルーツ・グループは同意した。

サンビーム・タイガーMk1(1964年〜1967年)
サンビーム・タイガーMk1(1964年〜1967年)

フォード・フェアレーン・セダン譲りのスモールブロックは、見かけよりも軽量。ベースとなったアルパインのエンジンルームに収まる唯一のユニットでもあった。

ルーツ・グループ製の2シーターは、100psほどのパワーアップを果たし、0-96km/h加速の秒数は半分近くまで短縮。しかし増えた車重は20%程度に留めている。

最高速度は193km/hに届き、フェザー級に軽いロータス・エランと並ぶパフォーマンスを得ている。出力特性はより柔軟性があり、扱いやすい。ブレーキやサスペンションのデキも良く、タイガーはプアマンズ・コブラ(貧乏人のコブラ)と呼ぶに相応しいクルマだった。

エンジンを搭載するために変更されたラック・アンド・ピニオン式のステアリングも、クルマに与えた影響は大きい。サスペンションはフロントがやや硬くなり、リアのリジットアクスルはパナールロッドに調整を受けている。

アルパインをベースに、急ごしらえしたコンセプト・モデルは、北米西海岸のルーツグループ・セールスマネージャーだったイアン・ガラッドを通過。その後キャロル・シェルビーによって改良が加えられ、タイガーの生産を請け負った。

経営不振で短命に終わったタイガー

ボディ製造を下請けたジェンセン社は、月産300台分を生産。プレスされたスチールボディに塗装を行い、ボディトリムを取り付け、ドライブトレインとマリアージュさせる前の加工を施した。

フォード製の大きなダイナモをボンネット内に納めるため、バッテリーは荷室へ移動。トランスミッション・トンネルは大型化され、ボルグワーナー製の4速マニュアルが収まった。後にマスタングにも用いられるミッションだ。

ロータス・エラン・シリーズ3(1965年〜1968年)
ロータス・エラン・シリーズ3(1965年〜1968年)

1967年になると、経営不振だったルーツグループはクライスラーの統治下へ収まり、1968年にタイガーの生産は終了。もし事態が異なれば、7000台以上の数が作られた可能性はあったものの、新鮮味を保てたかは疑問ではある。

一方のロータス・エランは、シリーズ1からシリーズ3までの間に8000台近くを出荷。さらにサーボ付きのブレーキに改められたシリーズ4も、約3000台が作られている。その後ビッグバルブ・ユニットを搭載したスプリントの登場で幕を閉じた。

もしエランを所有する理由が、走る使命感に駆られたものなら、ジョン・クルックはその筆頭。英国の自動車販売店、 ポール・マッティー・スポーツカーに40年勤務してきた人物だ。

クルックは1977年にエラン・シリーズ3を400ポンド(6万円)で手に入れ、以来大切にしてきた。「当時は金色で、メカもくたびれていました。20年ほど日常の足として乗ったあと、スプリント・レースやヒルクライム・レースに参戦してきました」

「8年前に全体をリビルトしています。エンジンはスプリント用のバルブと、高速カムに入れ替えました。16万km以上走っていますが、一度も路上で故障したことはありません」 とクルックが話す。

2台の試乗インプレッションは後編にて。

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