【ザガートのボデイにクライスラーのV8】ブリストル412コンバーチブル 前編
公開 : 2020.03.07 07:50 更新 : 2022.08.08 07:51
イタリアのスタイルにアメリカのパワー、そして英国の魂。そんな魅力満載のザガートボディのブリストルが、過小評価されていることに疑問を感じる筆者。59台しか作られなかったブリストル412コンバーチブルを振り返ります。
1970年に流れた違法というウワサ
1970年代の初め、アメリカ政府がコンバーチブルを違法化したという噂が流れた。
今でいうフェイクニュースだったが、結果的に1976年以降、アメリカの大手自動車メーカーはソフトトップの製造から手を引いてしまった。しかし市場は残され、コンバーチブル人気は富裕層の間で根強く、少量生産の可能なメーカーが需要にこたえた。
1970年半ば以降、ロールス・ロイス・コーニッシュの売れ行きは延び、数年分のバックオーダーを抱えた。1974年にはジェンセンがインターセプター・コンバーチブルを投入。快楽を求めたソフトトップは、ロールス・ロイス納入を待ちきれない人や、資金に余裕のある迷える人へと渡っていった。
ソフトトップの伝統を持っていなかった英国のブリストル・カーズも、この人気を放っておくわけにはいかなかった。1年後、4シーター・コンバーチブル・サルーンの412が登場する。ボディデザインは、イタリアのザガート社が手掛けた。
インターセプターも412も、搭載したエンジンはクライスラー製のV型8気筒。1973年から1974年にかけてのオイルショックは、高級車市場へも大きな影と失望を与えたが、この2台には払拭する自信があったのかもしれない。
もっとも、ジェンセンの場合は1967年までに267台しか売れず、自信はすぐに砕かれてしまう。反面412は違った。台数は少なくとも、ターボエンジンを搭載したボーファイターへ派生しながら、1992年まで生き残った。
100台にも満たないブリストル412
1976年に412の販売が開始されると、ブリストル・カーズのトニー・クルックは14台が現在製造中であることと、年間70台以上の生産は考えていないことを明らかにした。希少性や独自性を保つため、1週間に3台以上を生産しないブリストルの長年の方針を守ったのだ。
だが、コンバーチブルのブリストルは、1950年代半ばに誕生した405ドロップヘッド以来。実際は、412のシリーズ1が20台、シリーズ2が19台、ターボエンジンを搭載したボーファイターが19台しか製造されていない。
輸出専用モデルとしてロールバーのないフル・コンバーチブル、ボーフォートも計画した。だが、実際に作られたのは1台のみ。皮肉にも、クルックが意図した以上に、希少性は保たれてしまった。
そんな数少ない412コンバーチブルだが、今でも価値は上がらず価格は比較的手頃なまま。クルックの元で働いていた敏腕セールスマン、リチャード・ハケットのおかげで、今回は見事な3台を並べることに成功した。
1960年代前半から、トニー・クルックは1モデル体制を維持してきたが、412は例外となった。翌年には603が発売され、ほとんど広告を打たないブランドの認知度を高めた。
1961年にクライスラーのV8エンジンを搭載したモデル、407が登場して以降、ブリストルは自動車評論家などへ自由にクルマを貸さなくなった。それでも1960年代の販売は堅調で、大きな変更を受けることはなくても、毎年細かな手直しが与えられた。