【超音速と呼ばれたGT】イタリアボディのジャガーXK120スーパーソニック 後編
公開 : 2020.03.21 16:50 更新 : 2020.12.08 10:55
多才なスーパーソニックの父
常にネクタイを着用していたサヴォンヌッツィは、評価の高いドライバーでもあった。彼のデザインしたクルマをテストし、エンジニアやメカニックからの尊敬も厚かった。
シチタリアがグランプリ・チャレンジャーを制作する計画を発表すると、サヴォンヌッツィはシチタリアを抜け、自身の会社となるSVA社をトリノに構える。そこでフリーランス・デザイナーとして、今回のスーパーソニックを生み出した。
1954年になると、ギア社に常任のテクニカル・ディレクターに就く。最初の作品には、アルファ・ロメオ1900スーパースプリントがある。高く浮いたヘッドライトに、クロームメッキのフロントグリル、フォルクスワーゲン・カルマンギアにも似たルーフラインなどが特徴だ。
またアメリカの自動車メーカーとのコラボレーションを始めた、デザイナーのルイジ・セグレと共同し、先進的なデザインを手掛ける。フォード・フューチュラやギア・ギルダ、ギア・フェラーリ210スーパーソニックなどを生み出した。
1957年には渡米。クライスラーのタービン研究部門のチーフエンジニアに就任する。最終的には実らなかったが、1963年のタービンカーの開発にも深く関わっている。
サヴォンヌッツィは1969年にイタリアへ戻り、オルバサノ研究センターのディレクターと、航空部門のコンサルタントとしてフィアットへ再入社。退職後はトリノ工科大学の教授に就任し、1987年にこの世を去った。
このジャガーXK120スーパーソニックとサヴォンヌッツィとの結びつきを知る人は多くはない。手掛けたクルマの多様さが、彼の多彩さを裏付けている。