【ブガッティT55に乗って56年】フィゴーニ社製ボディの麗しいレーサー 前編
公開 : 2020.03.22 07:50 更新 : 2022.08.08 07:50
叶わなかったル・マンでの勝利
筆者のお気に入り、シャシー番号55221のクルマは、ボウリアト伯爵のチームに渡る。速く威勢のいいモナコ出身のワークスドライバー、ルイ・シロンがドライブした。
練習走行から、ブガッティ・タイプ55は、支配的な速さを見せたアルファ・ロメオ8Cに敵わなかった。だが経験豊かなドライバーは安定したペースで周回。ボウリアト・チームのシロンは7位、もう1台、ベテランのエルンスト・フリードリッヒは9位からのスタートとなる。
レースが始まると、3台のアルファ・ロメオがクラッシュし、ブガッティは一度先頭に立つ。だが23周目、4位を走行していたボウリアト・チームのクルマは突然姿を消した。
テルトル・ルージュ・コーナーで、タイプ55は燃料タンクが空になりストップ。ボウリアトがクルマを降りると、すぐに原因を突き止めた。リアアクスルとガソリンタンクの間に尖った石が挟まり、燃料タンクに穴を開けていたのだ。
もう1台のタイプ55は走り続け、フリードリッヒとツァイコフスキは、真夜中には3台のアルファ・ロメオ8Cに次ぐ4位に着けた。
朝が来て太陽が登る頃、青いブガッティーは先頭のアルファ・ロメオと7周遅れの3位にまで順位を上昇。正午になるとアルファ・ロメオはペースを落とし、夕方までには2位に着ける可能性も見えた。
しかしフリードリッヒがドライブするブガッティは、アルナージュ・コーナーでミスファイアを起こしリタイア。ブガッティはル・マンで勝てないというジンクスが現実となった。亀裂の入ったオイルパイプによって、ピストンが破損していた。
優雅なフィゴーニ製ボディでの再生
走行距離としては4位に相当するブガッティだったが、完走できずに記録には残らなかった。ブガッティがル・マンを制する、鮮烈なタイプ75Gストリームライナーが登場するのは、それから4年を待つ必要があった。
燃料切れで幕を閉じたシャシー55221のタイプ55は修理され、ボウリアト伯爵からジャックス・デュプイへと売却された。彼はル・マンを戦った手強いタイプ55をしばらく楽しんだ後、フランスのカロッツェリア、フィゴーニ社へと預けた。
イタリア生まれのジュゼッペ・フィゴーニは、ブガッティのために美しく慎ましいボディをデザインする。華やかでグラマラスなボディワークで知れ渡っていたフィゴーニ。細部に至るまで革新的な技で仕上げた。
タイプ55はワンオフのロードスターとして生まれ変わり、1933年に姿を表す。オーナーのデュプイは1933年のパリ・ニースラリーへ出場し勝利。美しくゴージャスなボディが、クルマの走行性能を奪っていないことを証明した。
優雅なボディをまとったブガッティ・タイプ55は、1930年代のフランスのコンクール・イベントの常連となる。オーナーは垢抜けたマリンスタイルのツートーン・ファッションで身を包み、一緒に参加した黒いスコティッシュ犬も、ブガッティのボディカラーにマッチした。
第二次世界大戦が始まると、多くのエキゾチックカーと同様に、ナチス軍から身を隠すように姿をくらませる。そして平和が再び訪れると、南フランスへと身を移した。