【ブガッティT55に乗って56年】フィゴーニ社製ボディの麗しいレーサー 後編
公開 : 2020.03.22 16:50 更新 : 2020.12.08 10:55
ブガッティの偉大な万能選手で、カロッツェリアのフィゴーニ社製ボディをまとったタイプ55。レーサーとして活躍した後は、コンクール・デレガンスでは優勝。深い愛の中で保たれてきたヒストリック・レーサーをご紹介しましょう。
ヨーロッパ中を走り回ったブガッティ・タイプ55
「タイプ55はあまり可愛がってこなかったですね。ブガッティのドライプレート・クラッチは滑らせられません。上り傾斜での発進はかなりの問題になります。沢山の後続車を作ってしまいます」 とフィゴーニ・ボディのブガッティ・タイプ55のオーナー、セント・ジョンはかつて振り返っている。
時折、ヒルクライムやスプリントレースにタイプ55で参加した。プレスコット・ヒルクライム・レースではゼッケン55がレギュラー。だが、夫妻がブガッティを最も楽しんだのは、ヨーロッパ大陸を自動車旅行する時だった。
ルーフを閉じることはほとんどなかったが、高いウエストラインと巻き上げ式の窓が、優れた安全性を生んだ。「タイプ55は、起伏がありカーブの続くフランスの道を幸せに走れます。多くの現代のクルマより、速いかもしれません」
高速道路はブレーキが原因で避けていたが、幅の狭いタイヤを理由に、一般道ではあまりスピードは出さなかった。2.3L、142psの直列8気筒は、長距離走行で4.9km/Lの燃費を残した。
丁寧なメンテナンスを施していたが、エンジンからはオイルがハイペースで燃えてなくなった。「ブガッティは中毒性を持った病です」 と1989年のインタビューでセント・ジョンは答えている。
「わたしはかなり個人主義。クルマに時間を割いて、部品の手入れをすることが何よりも楽しいのです。比べられるものはありません」 彼はブガッティに集中するため、スミス・インダストリーズ社を早期にリタイアしていた。
グッドウッド・フェスティバルでの受賞
1994年、フィゴーニ・ボディのブガッティ・タイプ55は大きな交通事故に巻き込まれる。友人のロドニー・フェルトンが運転するブレシアとともに、フランスからイタリアのブガッティ・ラリーに向かう途中だった。
無事に怪我から回復したセント・ジョンは、大切なクルマのリビルトに取り掛かる。そのおかげで、これまで以上にブガッティ・タイプ55は美しくなった。
彼はコンクールデレガンスを狙うタイプではなかった。でも筆者は、1997年のグッドウッド・フェスティバルのカルティエ・スタイル・エ・ラックスに、フィゴーニ・ボディのブガッティを出展するよう勧めたことがある。
戦前のスーパーチャージド・スポーツカー・クラスは競争が激しかったが、審査員は見事なフィゴーニ・ボディのタイプ55へ心が奪われた。結果、最終投票では圧倒的な得点差でベスト・オブ・ショーに選出。誰よりも、婦人のリタとセント・ジョンは受賞に驚いていた。
惜しまれつつ、2019年2月にこの世を去ったセント・ジョン。しばらくの間、ブガッティ・タイプ55の運命が気がかりだった。
しばらくして、国際オークションハウスのボナムズ社が、ブガッティ・タイプ55をグラン・パレでのオークションに出品すると発表した。そこで筆者は、ディレクターのショルト・ギルバートソンに、祈念ドライブを提案したのだ。