【早すぎた流線形のボルボとデ・ソト】斬新なエアフローとPV36カリオカ 後編

公開 : 2020.04.12 20:50  更新 : 2020.12.08 11:05

番外編:エアフローが起こした変化の波

クライスラー・エアフローは、影響力のある製品だったと評価されている。1934年から1936年にかけて、ストリームラインと呼ばれる流線形ボディは、各国で一気に姿を現すようになった。

だが、従来的な箱型ボディを、アールデコ風のファストバックにしたクルマは省くべきだろう。実際に流線形を採用したモデルは多くない。アメリカでは、クライスラーに多くのメーカーが追従したが、売れやすい従来的なボディも継続して生産されていた。

トヨタAA
トヨタAA

例えば、1938年製のグラハム。逆スラントしたフロントノーズは「シャークノーズ」と呼ばれている。だが、全体的なスタイリングは従来様式だといえる。

そんな中でリンカーン・ゼファーは、アメリカ製モデルでエアフローに並ぶ数少ない流線形デザイン。シンプルで滑らかなボディに、象徴的なV型12気筒エンジンを搭載し、エアフローより台数は多く売れている。

初年となる1936年には、1万4994台のゼファーを販売。同時期のエアフローは6275台だった。翌年になるとゼファーの生産台数はさらに倍増。ゼファーの方が軽量で剛性も高く、空力的にもエアフローより優れていた。

北米以外で見ると、トヨタ初の乗用車、1936年のAAがある。これはエアフローを購入し、徹底的に研究されて生まれた1台。生産台数は少なく、派生モデルも含めて1500台程度だった。

英国のシンガー・イレブン・エアストリームというクルマも存在する。当初は750台の生産計画だったが、実際に作られたのは100台程度だった。

プジョー402も流線形ボディのハンサムなクルマ。1935年に登場し、翌年にはひと回り小さな302も発表している。さらに小さな202も含めると、流線形プジョーは、合計で18万8000台が製造され、商業的にも成功した。

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