【なぜ鎮静化?】ブラバス/ロリンザー/カールソン 90年代末ブーム「ド派手メルセデス」の顛末

公開 : 2020.03.30 19:52  更新 : 2021.10.09 23:54

いまから20年ほど前、世界各地でメルセデス・ベンツのチューニングやドレスアップが爆発的ブームに。しかし今では当時のような「ド派手メルセデス」は見られません。桃田健史が理由を探ります。

懐かしい 「ド派手メルセデス」に沸いた日々

text:Kenji Momota(桃田健史)

ブラバス、ロリンザー、カールソン。

ひと呼んで、「メルセデスチューニング御三家」

カールソンが手掛けたメルセデス・ベンツ。 出典:FavCars.com
カールソンが手掛けたメルセデス・ベンツ。 出典:FavCars.com    FavCars.com

いま(2020年)から20年ほど前、世界各地でメルセデス・ベンツのチューニングやドレスアップが爆発的ブームとなった。

東京ならば六本木、赤坂、麻布あたり、大阪ならば新地あたり、福岡ならば天神あたりで、ド派手なメルセデスたちの闊歩していたことを、思い出す方も多いのではないだろうか。

こうしたメルセデスたちは、いわゆる「アフター系」だ。独ダイムラー本社から日本法人(現在のメルセデス・ベンツジャパン)を経て販売されたクルマではない。

または、正規輸入車に日本国内でドレスアップキットやホイールを装着するケースもあった。

いまでも、メルセデス・ベンツのアフター市場は日本国内に存在する。だが、20年前のようにSクラスやSLクラスなどを対象したモノは少ない。主流はGクラスだが、Gクラスが人気とはいえ、市場に出回っている数は限定的だ。

どうして、アフター系のメルセデス・ベンツは、以前と比べて少なくなったのか?

見方を変えれば、どうして1990年代後半にメルセデスチューニングのブームが巻き起こったのか? そして、なぜブームが終わってしまったのか?

「自分が乗りたいメルセデスがなかったから」

筆者(桃田健史)は、メルセデス・ベンツのチューニングブームに沸いた1990年代後半から2000年代中盤にかけて、ドイツ各地を頻繁に訪れチューナー各社の詳細な取材を行っていた。

カメラマンや編集者らと、フランクフルト空港周辺でレンタカーを借りて、ドイツ全土のアウトバーンを走った。

ロリンザーが手掛けたメルセデス・ベンツ。「自分が乗りたいメルセデスがなかったから」というのが同社の出発点だ。
ロリンザーが手掛けたメルセデス・ベンツ。「自分が乗りたいメルセデスがなかったから」というのが同社の出発点だ。

取材の軸足となったのが、「御三家」だ。

ブラバスは、オランダ国境に近いドイツ北部デュッセルドルフの郊外。ロリンザーは、ダイムラーやポルシェの本社があるドイツ中部シュトゥットガルトの郊外。カールソンはフランス国境にほど近いドイツ中西部ザールブリュッケンに本拠があった。

「御三家」の中で、最も事業に精力的だったのがブラバスだ。

ブラバス創業者のブッシュマンに、筆者は定期的に会っていたが、インタビューのなかで「自分自身で本当に乗りたいと思えるメルセデス・ベンツがなかった。だから、自分で作った」とブラバスを立ち上げた当時を振り返った。

ドイツ車でスポーティでパワフルで、そして華やかな高級車いえば、ポルシェやBMW

メルセデス・ベンツはあくまでも上品に乗るクルマという潜在意識が、ドイツ人のみならず世界での当たり前だった。

そうした常識を自らの手で崩したい、という気持ちがブラバスというブランドの推進力になった。

記事に関わった人々

  • 桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?

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