【16年の差】レクサス、日本ではなくアメリカで生まれた背景 アメリカ人幹部がトヨタ本社を口説いた

公開 : 2020.03.31 12:55  更新 : 2021.10.09 23:54

レクサスが誕生したのは、いま(2020年)から31年前となる1989年。それから16年後の2005年に母国日本に凱旋しました。なぜアメリカから展開したのか。日本とアメリカの商習慣の違いなどにスポットを当てます。

レクサス、すっかり高級車の代名詞になった印象

text:Kenji Momota(桃田健史)

やっと、日本でも「レクサス=高級車」という意識が一般に定着した。そんな印象がある。

レクサスが誕生したの、いま(2020年)から31年前となる1989年。日本車でありながらアメリカで先行発売となった。

初代レクサスLS
初代レクサスLS

母国日本に凱旋したのは、生誕から16年後の2005年だ。

なぜ、これほど日本上陸が遅れたのか?

いや、そもそも、レクサスは日本での発売を念頭に計画されたブランドだったのだろうか?

様々な疑問があるなか、レクサスは日本でもアメリカと同じく、モデルのフルラインナップ化が進んでいる。

直近では、2018年にSUVのエントリーモデルとして新作UXを導入した。UXの開発チームとじっくり意見交換したが、「アメリカありき」とか「中国重視」、さらには「日本市場は後付け」といった仕向け地に序列をつけるような意識はまったく感じなかった。

UXに見られるように、近年のレクサスはクルマという枠組みを超えた、グローバルなブランドとして仕向け各地で認識されている。

ユーザーにとって「レクサスは、レクサスという高級ブランド」という意識を持っている。

別の見方をすると、トヨタの母国であり、乗用車市場の約半分をトヨタが占める日本において、「レクサスは、たんなるトヨタの上級モデル」というユーザーの意識を変えることはとても難しかった……、といえる。

では、レクサスはどうして日本ではなく、アメリカで立ち上がったのか?

ホンダ、北米でちょっと変わった新戦略」

では、レクサスはどうして日本ではなく、アメリカで立ち上がったのか?

レクサス誕生に関わったアメリカ人関係者らから、筆者(桃田健史)が直接聞き取りをした情報を基に、ここからの話を進める。

1980年中盤「ホンダがアメリカでちょっと変わった新しい戦略を計画しているようだ」との情報がトヨタに入る。

当時、トヨタとホンダの北米営業本部は、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のトーランス市にあった。現在、トヨタはテキサス州ダラス郊外のプレーノに拠点を移しているが、ホンダはトーランスでのオペレーションを継続している。

また、トーランスの北側の隣、ガーディナには日産の北米営業本部があったが、テネシー州ナッシュビルに移転している。

トーランスやガーディナは、もともと日系人が多いエリアでもあり、トヨタ、ホンダ、日産の社員を顧客に持つ日本食料理店や日本食料品店が多かった。

日本からの駐在員やアメリカ現地採用のアメリカ人はメーカーの枠を超えて、プライベートな付き合いも多く、その中でライバルの情報が漏れていしまうこともあったと考えられる。

実は、筆者はトーランスの南側の隣、レドンドビーチに居住していたので、こうしたトーランス界隈の日系企業の実態に詳しい。

トヨタ関係者が耳にした「ホンダの新戦略」とはなにか……。

記事に関わった人々

  • 桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?

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