【なぜ撤回?】アキュラが日本上陸しない本当のワケ ブランド立ち位置、日米で違い
公開 : 2020.04.02 12:30 更新 : 2021.10.09 23:54
アメリカで成功した戦略 日本で通用する?
アキュラ・ブランドの普及で、「アメホン」が最初におこなったのは、インテグラ(後のアキュラRSX)やスポーツプロトタイプでのレース参戦だ。
80年代後半、カー&ドライバー、モータートレンド、ロード&トラックなど、自動車雑誌大手に、アキュラのレーシングカーの広告が頻繁に載るようになった。
「アメホン」の狙いは、こうした耐久レースが開催される全米各地の現場に、アキュラのディーラー関係者やユーザーを招き、バーべキューパーティをおこなうなどして、草の根的なブランド訴求をおこなった。
一方、インディカーではホンダ・ブランドを前面に出したが、レース開催地ではアキュラ関係者も併せて招待していた。
このような活動によって、アメリカではアキュラの認知度が徐々に高まった。
市場導入から10年ほど経った90年代後半では、一般的なアメリカ人にとって「アキュラのライバルはBMW」といったイメージが定着し始めていた印象がある。
こうしたアメリカで成功したマーケティング戦略が、果たして日本で通用するのかは、大きな疑問だ。
2005年末に2008年秋のアキュラ日本導入を示した、福井社長(当時)としても、日本ではアメリカとは違う形での、アキュラ・ブランド戦略が必要なことを、重々承知していた。
その時期に福井社長に直接話を聞いた際、そうした難しさを指摘していた。
ホンダ新体制 アキュラ日本導入の再検討は
2000年代に入り、ミドルサイズSUVのMDXが爆発的ブームとなった。また、セダンの売れ筋TLをTLX、レジェンドをベースとしたRLをRLXに改名するなど、三文字のモデル名称化によってブランドの統一性を強化した。
さらに、アキュラ・ブランドの頂点として、第2世代NSXをアメリカ生産し「アキュラはアメリカ生まれ」を社外のみならず、ホンダグループ内でも再確認した。
直近では、こうした「〇〇X」というブランド戦略の第一ステージが終わり、アキュラは次の一手に向けて力を蓄えている。そんなイメージがある。
だが、レクサスはもちろん、欧州プレミアムブランドや中国地場メーカーなど、アキュラっぽい商品イメージのクルマは世界市場で乱立している現状で、次の一手をどう打つかは、難しい経営判断となる。
そうした中、2020年4月1日から、ホンダの四輪事業は本田技研工業本社が本田技術研究所と完全融合した。ここには当然、アキュラに関する商品企画や研究開発が含まれている。
「アメホン」主導で、中国や世界各地に広がったアキュラ。
アメリカで生まれてから34年目。いま、アキュラの在り方を改めて問い直すべき時期となった。日本市場ので次世代アキュラ・ブランド展開の可能性は十分あるはずだ。
アキュラの「次の一手」に期待したい。