【次期「ミウラ」】過去にはコンセプト白紙も かんたんに「復活論」語れぬ背景
公開 : 2020.04.07 05:50 更新 : 2020.04.08 11:01
北米依存の弊害 リーマンショックで白紙
ミウラ・コンセプトが登場した2006年頃、アメリカではスポーツモデルの60年代回帰がトレンドになっていた。
フォード・マスタング、シボレー・カマロ、ダッジ・チャージャーなど、いわゆるマッスルカーが復活。
パフォーマンス系もフォードはSVT(スペシャル・ヴィークル・チーム)も事業規模を拡大。その一環として、60年代の「GT40」の現代版としてフォード「GT」を量産化した。
このフォードGTと、ミウラ・コンセプトが時期的にダブってしまったことで、ミウラ・コンセプトがメディアや一般ユーザーの目に「アメ車っぽく」映ってしまった、ともいえる。
正直なところ、デザインとしては、量産フォードGTの方が出来が良い印象だ。
見方を変えると、初代ミウラのデザインは、実に巧妙で、微妙なバランス感の中で成り立っている、といえる。衝突安全に対する車両設計が重視される中、ミウラ次世代化を実現することは難しい。
ミウラ・コンセプト登場の2年後、ミウラ復活の話は完全に途絶える。アメリカを震源とする金融危機、リーマンショックだ。
当時、中国はまだ経済発展途上にあり、ランボルギーニとしてもアメリカ頼みの可能性が消えたことで、ミウラ復活シナリオは白紙となる。
では、ミウラ復活について、初代ミウラのデザイナーはどのように受け止めているのか?
「復活」の文脈で語るクルマではない
ミウラ・コンセプトがデトロイトで公開される1年ほど前、筆者は初代ミウラをデザインした、マルチェロ・ガンディーニの自宅を訪問した。場所は、イタリア・トリノ郊外。
トリノには、カロッツェリアと呼ばれる自動車デザインや部品の設計を行う企業が数多く生まれた。
そのうちの1つ、ベルトーネでデザイナーを務めてた、ガンディーニ。
制作に携わったモデルは、ミウラやカウンタックの他、ランチア・ストラトスなど、スーパーカーが数多い。
そんなガンディーニに、ミウラやカウンタックを描いた頃のことを聞くと、あの部分で苦労したとか、こうした発想がデザインの基本にある、といった過去を懐かしむような雰囲気はなかった。
「ミウラにしても、カウンタックにしても、デザインを依頼されたその時点で、量産化可能な技術要因を十分に踏まえた上で、感性を研ぎ澄ませた。その結果である」と、あくまでも工業デザイナーとして現実を重視したという答えが、印象に残った。
ランボルギーニ・ミウラとは、60年代に登場した一代限りのモデル。次世代型とか、復活といった文脈で語るようなクルマではない。
ミウラを描いた、その人と語り合いながら、そう感じた。