【光るタイヤに24金レリーフ】リンカーン・ベースの究極のカスタムカー 後編

公開 : 2020.04.18 16:50  更新 : 2021.03.05 21:27

1960年代に姿を消してから行方不明だった、ゴールデン・サハラII。ゴージャスなボディだけでなく、内照式のタイヤが最大の特徴でしょう。技術的にもカスタムカーとしても、歴史的な大作といえる1台が復活しました。

突然の50年間もの雲隠れ

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)/MECUM(メカム)/GOODYEAR(グッドイヤー
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
テレビ出演を果たしたゴールデン・サハラIIは、魔法じかけのように、リモートコントロールでステージ上に登った。ボタンでエンジンを始動させ、マッサージ機能付きのシートと、自動ブレーキシステムが紹介された。

ところがその直後、何の前触れもなくゴールデン・サハラIIは公衆の前から姿を消した。1970年代にかけて色々な噂を呼んだが、オーナーによって破壊されたと多くの人は信じていた。

ゴールデン・サハラII(1954年)
ゴールデン・サハラII(1954年)

時間の経過とともに、カスタムカー・ファンだけの記憶に残る、幻の存在となった。ダークグリーンのマスタング・ブリッドのように。

2017年、長い沈黙を破ってゴールデン・サハラIIは突然に姿を表す。クルマは数十年に渡って、オーナーが保管していたのだ。俳優ノーム・グラボウスキーのホットロッド、クーキー・カーと一緒に、ひっそりとオハイオ州のガレージに生きていた。

ゴールデン・サハラIIは、ガレージの売却にあわせて、2018年5月のメカム・オークションへ出品。カーコレクターのラリー・クレアモントが落札する。

50年に及ぶ休眠は、クルマに多くの影響を与えていた。カタチは保っていたが、美しさは損なわれていた。真珠のような白いボディは黄色く変色し、金箔は一部が剥がれていた。ウレタン製のタイヤは、すぐにボロボロになるような状態だった。

「できるだけ保存しようとしましたが、95%はレストアすることになりました。塗装は失われていました。手を施さなければ、特別なクルマには見えなかったでしょう」 レストアを主導した、クレアモント・コレクションを管理するロバート・オルセンが話す。

修復のカギとなった内照式タイヤ

クレアモント・コレクションを定期的に訪れていた、シカゴで小さなガレージを営むグレゴリー・アロンゾが、偶然にもレストアに関心を示した。彼は、修復でカギとなるのが、内照式のタイヤの再現であることを理解していた。

オハイオ州のグッドイヤー社で、キース・バックリーとのミーティングを設定。クレアモントとグッドイヤー社は、ゴールデン・サハラIIを再び世界中の人と共有したいという想いで動いた。2019年のジュネーブ・モーターショーへの出品が目標となった。

ゴールデン・サハラII(1954年)
ゴールデン・サハラII(1954年)

空気の入る内照式タイヤ、ネオセインの復刻には膨大な費用が必要だと判明。諦めずに検討を重ね、40日後にオハイオ州のテクノロジー・ハウス社が、特注タイヤとして制作する方法を考案した。

「古いタイヤのシリコン型を用いて、復刻しました。空気は入らない、中身が詰まったソリッドなウレタンタイヤです。再現したゴールデン・サハラIIのホイールに組付けてあります」 とバックリーが説明する。このタイヤで自走も可能だ。

「コンクリートのように、ウレタンも硬化する時に98度くらいの熱を発生します。光源となっているLEDは、90度までが規格だったので、故障に備えて3セットのLEDを仕込んであります。当時のタイヤより明るく光る理由です」

タイヤ以外の部分も、短いスケジュールに追われるように作業が進められた。「ジュネーブに展示した段階では、リペア止まりといえる内容。表面的に綺麗に装った状態です」 オルセンが打ち明ける。

「インテリアは掃除すれば大丈夫だと考えていました。しかしカビが生えており、完全に仕立て直す必要がありました。当時の素材に合う生地を組み合わせています。塗装は完全に剥がしましたし、配線作業も大変でした」

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