【ツインカム・エンジンが放つ機能美】1928年製レーサー アミルカーC6 後編
公開 : 2020.04.25 20:50 更新 : 2022.08.08 07:40
6000時間を投じて進めたレストア
細心の注意を払ってアミルカーC6の作業を進める中で、ハーディングは公道走行が可能なように手を加えた。燃料ポンプに加えて、スターターとダイナモが付けられた。1920年代のボールズ仕様のように。19インチのワイヤー・ホイールは復元された。
6000時間を投じてレストアを行ったハーディング。見事な細部の仕上げを見るほど、素晴らしい仕事だったことがわかる。クルマが完成すると、YV 91のナンバーを取得し、公道へ下ろした。
アミルカーのイベントだけでなく、20年に渡ってブルックランズ・リユニオンでも高い注目を集めてきた、黒いC6。2003年には、最もガレージに収めたいクルマとして、優勝も獲得している。
オーウェン・フィンチ時代のエグゾースト・システムが復元され、C6のサウンドは見た目に違わずシャープ。小さなフランス製レーサーは、2019年に亡くなった素晴らしい技術者が残した、素晴らしい偉業ともなった。
父親が英国の陸軍学校に駐在していた、1924年に生まれたハーディング。ロンドンから60kmほど離れた、チャーターハウス・スクールで学んだ。世界大戦中は英国陸軍工兵隊へ入り、インドで蒸気機関から小さな発電所などの維持に関わった。
平和が訪れると、英国に戻りバーミンガム大学へ入学。修士課程まで工学を学んだのち、国立ガスタービン研究所へ加わると、音速飛行機のコンコルドの開発などに携わる。その後、1984年に退職した。
フランスの生んだ小さな傑作
ハーディングは自宅で、バイクのフラットタンク・ノートンから1928年製のフレイザー・ナッシュまで多くのマシンを所有し、レストアしてきた。彼の日頃の足は、2台のモーリス・マイナーだった。
彼は飛行機にも感心が強く、小型飛行機のデ・ハビランド・ホーネット・モスも所有。自身で飛行させていたという。
沢山の機械に触れ、数多くの設計をしてきたが、アミルカーC6は95才で亡くなるまで手放さなかった。注目していたのはドライビング体験だけでなく、設計や正確性の高さだった。
小さなフランス製レーサーは、大切に自宅の保管庫で維持されていた。90才を過ぎ、最後となったブルックランズへの自動車旅行でも、自らプラグを点検し、エンジンを高らかに吹け上げた。
「ハーディングは、優れた機械工学の知識を備えていただけでなく、有能なメカニックでもありました」 友人のピーター・ビグネルが振り返る。
晩年になると、ハーディングは絵画も楽しむようになる。ほかの趣味と同じように、すぐに自身のものとした。彼は長く所有するアミルカーC6の絵を描くことはなかったが、テクニカル・イラストレーターのボブ・フリーマンの作品は高く評価していたそうだ。
フランスが生んだ、この小さな傑作の素晴らしさに気づいたのなら、誰もが強く感心を寄せるはず。美しいツインカムエンジンの姿を目にし、サウンドを耳にできた筆者は、何と幸運なのだろう。