【麻薬と不正利用 ロータスの関与】デロリアンDMC-12 開発と倒産の裏話 後編

公開 : 2020.04.24 10:20  更新 : 2020.12.08 11:05

トライアンフを用いた2台目の計画

バリー・ウィルズ 購買部門ディレクター/破産管財人責任者

バリー・ウィルズは、デロリアン・モーター・カンパニー創業当初からの従業員。そして最後にデロリアン社を退職した人物でもある。ちなみに彼は、ジョンZデロリアンとわたし、と題した本を出版したばかりだ。

1978年10月に購買部門のディレクターとして入社し、1982年5月には、破産手続きに伴う最高責任者となった。それと前後するように彼は、成功する可能性が高かった、救済計画を立案している。

ウィルズのビジネス計画の1つは、2台目のモデルを投入することだった。ブリティッシュ・レイランド(BL)カーズが、トライアンフTR7とTR8の生産終了を1981年に発表。それを利用し、低コストで2台目を実現する機会が訪れたのだ。

「わたしたちはオースチン・ローバーと、TR7とTR8コンバーチブルの買収に関する協議を進めていました。西ミッドランズの支援も受けていました。2台のクルマを組み合わせることで、デロリアンを救えると考えたのです」 と話すウィルズ。

既存スポーツカーのボディを、低コストに一新したモデルの計画だった。「BLカーズはトライアンフやTRの名称利用は認めなかったため、ジェフリー・ヒーリーの承認を得て、ヒーレー・ブランドに改める計画でした」

事業に対するサッチャー首相との亀裂

「ヒーレー3500にはV8エンジン、ヒーレー2000は2.0Lエンジンが搭載されたでしょう。デロリアン・モーター・カンパニーの名称は、ダンマリー・モーター・カンパニー、DMCへと改名されました」

「この事業には、2000万ポンド(27億円)の資金が必要でした」 多くは投資銀行や、外部の投資家からの資金だったが、北アイルランド庁を通じて政府からも8万ポンド(1080万円)を得た。

デロリアンの生産工場
デロリアンの生産工場

「当時のジム・プライアー大臣は計画に協力的でしたが、サッチャーと対立していたトリー・ウェットは異なりました。プライアー大臣は、サッチャー首相と一度、問題をクリアにする必要性を理解していました。

「状況を検討する閣議も開かれず、とてもスピーディに話が進んでいました。しかしサッチャー首相は、DMCが組む英国コンソーシアム計画には資金が不足しているという印象を受け、混乱していたようです」

「首相は、DMCがより多くの資金提供を求めていると勘違いしたのです。プライアー大臣が、首相へのプレゼンテーションに失敗したと聞きました」

「求めていたのは承認だけでしたが、首相はプライアー大臣の質問に耳を傾けることはありませんでした。もっとDMCには仕事に取り組んで欲しいし、もう政府の資金はない、と首相は計画を跳ね返したのです」 

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