【小さなロールス・ロイスが目標】トライアンフがベースのパンサー・リオ 前編
公開 : 2020.05.03 07:20 更新 : 2020.12.08 11:05
パンサー・リオというクルマをご存知でしょうか。オーナーのピーター・メイヨーは、トライアンフがベースの、小さなロールス・ロイスをこよなく愛するマニア。わずか18台の生産に留まった珍しい1台をご紹介します。
存在しなかったリオのターゲット
パンサー・リオが狙ったターゲット層は、実在したのだろうか。根本的に間違った立脚点から、開発が始まったクルマに思えてならない。
オイルショックや経済不況に世界中があえいでいた、1970年代半ば。富裕層の一部の人は、大型車に乗る罪悪感を感じ、より小さく経済的な、人目につかない高級車を選びたがると考えた。
しかも、フルサイズの豪奢なサルーンに引けを取らない、高水準の内装と装備を備えたクルマ。オーナー自ら運転するか、運転手に運んでもらうかは別として。
絵に描いた餅のように社会意識が高い富裕層は、そんなクルマに1万ポンド(135万円)の大金を払うとパンサーは考えた。この金額は1975年当時、V型12気筒エンジンを搭載したジャガーやデイムラーの価格より高いものだった。
ミニをベースとした、ラドフォード・ミニ・クーパーやバンデンプラ・スプリンセス1300なども、小さなパッケージに豪奢なレザー内装を備えたモデルだ。似たターゲット設定だったものの、手の届く価格だったことが違う。
パンサー・リオの燃費が、1975年製のジャガーXJ12やメルセデス・ベンツ450SELより4.0km/Lほど優れていても、富裕層は気にも留めなかったはず。経済的な成功を収めた大物が、毎週10ポンド(1350円)程度のガソリン代の節約に喜ぶとは思えない。
英国は、年間24%にも達する急激なインフレに悩まされていた。炭鉱労働者の賃金は35%の上昇率。93%という多額の税金を課せられた裕福な英国人は、スイスへ逃げた。
トライアンフ・ドロマイトがベース
トライアンフ・ドロマイトをベースにした、ボタンの掛け違いのまま進められたプロジェクト。そもそも、リムジンに乗っているような当時の金持ちは、大衆の目を気にするような考えも持っていなかった。
1970年代、パンサーの創業者、ロバート・ジャンケルと上層部のデビッド・フランクスは、過敏に時代の変化を感じ取っていたのだろう。残念だが、パンサー・リオはラドフォード・ミニほどのシックな雰囲気も得られていない。
思いがけない成功となった、1972年のパンサーJ72と1974年のパンサー・デビルも、2人に発想の自信を与えていた。確かに裕福な人達は、人とは違う何かを求めていた。パンサー・リオも、間違いなくほかにはない1台ではある。
パンサー・リオには、2つのバージョンが用意された。92psのリオは、8バルブのトライアンフ・ドロマイト1850をベースにしている。フラッグシップとなる128psのリオ・エスペシャルは、16バルブドロマイト・スプリントがベースだ。
新車当時の価格は7900ポンド(106万円)から。ベースとなっているトライアンフの3倍という金額だった。128psになると、8900ポンド(120万円)にもなった。
エアコンは400ポンド(5万円)のオプションで、電動サンルーフは327ポンド(4万円)で付けられた。いくつかオプションを選べば価格は1万ポンド(135万円)を軽く超えた。