【なぜ、日本で売らない?】ダットサン日本上陸、絶対ナシとは言い切れないワケ
公開 : 2020.05.05 05:50
新生ダットサンが生まれるまでの話
時計の針を少し戻す。
2008年1月、インドのデリーモーターショー。
プレスデーの朝、デリー中心部の見本市会場内は、ショーの準備ができていないブースがいくつもあった。
会場の外では、聖なる動物である牛が堂々と大通りを歩き、その脇には定住先のない人々が未舗装の路面に寝転んでいる。
新興国といっても、この頃のインドは経済成長の初期にあった。
そんなデリーモーターショー2008の目玉は、地元タタが満を持して発表した超小型車「ナノ」だった。
10万ルビー(当時レートで約27万円、現在は約14万円)という、世界の自動車産業界にとって大きなインパクトがあった。
ショー現地には、日系自動車メーカー各社の関係者が視察に来ていた。
インドはマルチスズキ(現在のスズキ)が市場の約半分を占有する特異な形態で、そこにどう切り込むかを検討していた。ホンダはインドでの活動を活発化させていたが、トヨタと日産はインド市場に対して慎重だった。
日産関係者とも意見交換したが、日産ブランドとして参入することの難しさを指摘したうえで「BRICs向けに新ブランドが必要かもしれない」と漏らした。
当時は、ブラジル/ロシア/インド/中国/南アフリカが新興国の筆頭と言われて、各国の頭文字でBRICsと呼ばれていた。
これが、新生ダットサンに至るまでの一場面だった。
ダットサン 日本では絶対に売らず?
新生ダットサンは2013年から、インドとインドネシアで発売を始めた。
最初に導入したのは、1.2Lの「GO」と、全長を伸ばして後席やラゲッジスペースを拡張した「GO+」だ。
現在、ダットサンは
・redi-GO
・GO
・GO+
・ON-DO
・MI-DO
・CROSS
というAセグメントからBセグメントSUVまでのラインナップ。
販売国はインド、インドネシアの他、ロシア、南アフリカ、そしてカザフスタンの5か国だ。
2014年にインドネシア日産の本社と工場を取材したが、「GO」誕生の背景には、インドネシア政府が進めるLCGCというエコカー政策があった。
この政策の規定と、インド市場での適合を考慮して商品企画されたという。
製造は、日産車と同じ工場であり、製造管理体制や製造における質は日産クオリティである。
ダットサンは、ゴーン体制下で生まれた世界戦略の一環だ。当面は新興国向けなのかもしれない。
だが、販売せず、サブスクリプションモデルなど、所有から共有に関するビジネスようならば、日本でも使い勝手が良いかもしれない。
クルマ本体のコスト最重視を考えた新しいビジネスで、日本にダットサン導入という可能性は否定できないと思う。