【ダットサン240Z】日産の放った初回ホームラン フェアレディZ 前編
公開 : 2020.05.17 07:20 更新 : 2020.12.08 11:04
フロントサスはローレル1800から流用
才気あふれる開発チームが仕事に取り掛かったのは、1965年11月。魅力的なクラシック・クーペとして、実用的なボディサイズとクリーンでモダンなフォルムを模索した。スタイリングが最優先のプロジェクトだった。
日産の植村齊や紅谷恒雄、鎌原秀美たちが手掛けたクレイモデル(デザイン決定用モデル)は、内包するメカニズムとの整合性が確認される前に、社内了承が出たほど。その後、数多くの障害に直面するのだが。
いくつかの部品は既存モデルから流用された。マクファーソン・ストラット式のフロントサスペンションと、フロントのサブフレームは、ローレル1800サルーンから持ってきた。
リアサスペンションの決定には、検討が重ねられた。最終的にロータス風の、A形状のロワーアームと直立するストラットを持つ構造が選ばれた。
優れたロードホールディング性を実現させていたが、ねじり剛性は不足気味だった。開発要件として、荷室にはフルサイズのスーツケースが2個入る必要があり、ストラット上部をつなぐことは難しかった。
シャシー剛性を高めるため、補強材の設計に多くの時間を費やした。後に社外品として、ストラットブレースが用意されることにもなる。
主要市場は北米ということで、現地の衝突安全規制と排気ガス規制に伴う車重制限も、常に意識していた。開発後半には車重を2300ポンド(1043.3kg)に収めるため、燃料タンクを70Lから60Lへと変更している。
軽量化のためにガラスも薄く
この縮小は、衝突テストでも有利に働いた。それまでは前方からの衝突試験のみだったが、新ルールで後方からの衝突安全性も考慮されるようになった。事故時にガソリンが漏れると、大きな被害を招くためだ。
リアデファレンシャルの位置は、燃料タンクのさらに前方へずらされた。ドライブシャフトは僅かに後ろへ傾斜している。
車重を意識し、ガラスの厚さは5mmから4mmへと薄くなった。重量のかさむバンパーは、プレスされたスチール製へ変更。アンダーシールを塗ると制限重量を超えるため、工場出荷時ではなくディーラーで施工されるほどだった。
240Zが当初から北米市場を強く意識していた理由は、当時の米国日産の社長を務めていた、片山豊によるところが大きい。ロビー活動を積極的に展開し、常に前向きな考えを持っていた人物だ。
田舎で育った片山、「ミスターK」はアメリカ市場を見事に理解し、日本とアメリカとの架け橋になった。日本車を海外で成功させる方向性を示し、開発を推し進めた。
市場の要求を汲み入れ、アメリカ向けのS30型フェアレディZには、プリンス自動車が開発したトリプルキャブレターの2.0Lツインカム、S20エンジンは選ばれなかった。そのかわりトルクの太い、直列6気筒の2.4LのL24エンジンが搭載された。
V8エンジンの性格に慣れ親しんでいた、アメリカ人に受け入れてもらえるように。ちなみにツインカムのS20エンジンは、スカイラインGT-Rと日本市場向けのレース仕様、Z432へ搭載されている。
この続きは後編にて。