【眠れる巨人の目覚めはいつ?】マクラーレン復活への道のり チーム代表にインタビュー 前編
公開 : 2020.05.23 18:50
栄光の館 かつてない事態
いまザイデルが執務している壮大なマクラーレン・テクニカル・センターには、12度のドライバーズタイトルに8回のコンストラクターズチャンピオンシップ、さらには486回の表彰台と182勝というチームの栄光を示す数々の品物が飾られている。
こうした栄光を物語るマシンやトロフィーが、ジェームス・ハントやアラン・プロスト、アイルトン・セナ、さらにはルイス・ハミルトンといったドライバーの名とともに至る所に置かれているのだ。
だが、2012年以来マクラーレンは勝利に見放されており、140レース、8年間も勝てなかったことは、その54年の歴史のなかでかつてないことだった。
こうした苦境にあって、長くチームを率いて来たロン・デニスはマクラーレンを追われ、多くの期待とともに2015年からふたたびタッグを組んだホンダとは、わずか3シーズンを共にしただけで袂を分かっている。
つまり、栄光に彩られているとは言え、実際にザイデルが舵取りを任されたのは、ルノーからパワーユニットを受ける中位グループのチームだったということだが、それでも彼が昨年チームに加わる前から、浮上の兆しは見え始めていた。
「わたしの加入前にザクやチームが下した素晴らしい決断の恩恵を受けています」と、ザイデルは話している。
「シーズンオフの間にマシンを開発する方向性が固まっていたお陰で、すぐにジェームス(・キー、テクニカル・チーフ)や他のリーダーと、チームの弱点分析を始めることが出来たのです」
多くの弱点 組織を改革
驚くほど率直にザイデルは近年マクラーレンが犯してきた失敗を認めている。
「多くの弱点がありました」と、彼は言う。
「過去数年のパフォーマンス不足には理由があります。組織と設備の双方に問題がありました。それでも、時間を掛けて未来に向けた明確なプランを検討しており、こうして考え出された計画には満足しています」
ザイデルが最初に取り組まなければならなかったことのひとつが、マクラーレンの組織をシンプルにするというものだった。
ロン・デニスと前チーム代表、マーティン・ウィットマーシュが創り出した、責任を数多くのスタッフや部門で共有する「マトリックス」システムを彼は廃止している。
よりシンプルな組織形態とするべく、テクニカル・チーフのキーとレーシング・ディレクターのアンドレア・ステラ、そしてプロダクション・ディレクターのピアーズ・シンの3人が、すべてをザイデルに報告するようにしたのだ。
ザイデルはブラウンとの関係も良好だと言う。
「パフォーマンス向上に向けたアプローチの方法については多くを共有しています。ザクは組織全体の強化を図るとともに、わたしに自由を与え仕事をやりやすいようにしてくれています。素晴らしいのは彼が生粋のレーサーだということです」
番外編1:苦難のスタート
マクラーレンとメルセデスのコンビといえば、ミカ・ハッキネンとルイス・ハミルトンのタイトル獲得がすぐに思い浮かぶが、そのスタートは決して順調ではなかった。
1995年シーズンに向け、マクラーレンでは独創的なマシン、MP4/10のステアリングを任せるべく1992年のチャンピオン、ナイジェル・マンセルを招聘している。
だが、スレンダーなMP4/10のコクピットにフィットしないことを理由にマンセルは開幕からの2戦を欠場し、その間にマシンの調整作業が行われることとなった。
その後、第3戦と第4戦には出場したものの、マシンのパフォーマンス不足を理由にマンセルは事実上の引退を決意している。
この奇妙なスタイリングのマシンには速さだけでなく、エンジンの信頼性も不足していたのだ。
それでも、シーズン途中に行われた数々の改良が功を奏し、最終戦のひとつ前となる日本GPではハッキネンが見事2位の座を獲得している。