【世界最高を目指したV12】ラゴンダLG45とV12ラピード 戦前のクラシック 後編
公開 : 2020.05.30 16:50 更新 : 2020.12.08 11:04
ウォルター・オーウェン・ベントレーとフランク・フィーリーの力によって、ラゴンダを一時的に復活させたモデル、LG45とV12。当時、世界最高のクルマを目指して誕生した、ドロップヘッド・クーペをご紹介しましょう。
ラゴンダの究極といえるV12ラピード
ラゴンダV12ラピードには、3種類のシャシー長が設定された。V型12気筒エンジンの静かで滑らかな性質は、高性能なサルーンとして、ベントレーの強力なライバルにもなった。この成果に、WOベントレーは満足したに違いない。
ラゴンダV12には、エレガントなドロップヘッド・クーペと、コーチビルダーによる特注ボディも用意された。実際に売れたのは大部分が4ドア・サルーンだった。
圧倒的な性能を見せたラゴンダV12だったが、究極といえるモデルは、1938年に発表されたV12ラピードだろう。
ボディを手掛けたフランク・フィーリーは、優雅で高速なスポーツカーのデザインを得意としていた。第二次大戦以前のクルマで、最もスタイリッシュなモデルだといって過言ではない。
縦に大きいラジエターグリルと、滑らかな曲線とは相性が良いとは考えにくいが、見事なまとまりを得ている。V12ラピードでは、まばゆいフロントグリルのクロームはボディサイドへ伸び、リフェンダーのスパッツへと展開している。
フロントフェンダーの中央には、フィーリー風ゴシックアーチがの折り目が与えられた。ラジエーターの両脇には、クラクションを覆うようにコブが付いている。
このフェアリングはラゴンダV12のすべてに共通する要素。1935年のモーターショーでは、当時の運輸大臣から批判的な意見をもらう。女性の胸に似ていると。フランクの想像もしない反応だった。
テスト不足にも関わらずル・マンを完走
圧倒的なパフォーマンスを備えつつ、V12ラピードはツーリングカーとして装備も充実していた。巻き上げ式のサイドウインドウに、豪華な内装トリム。オイルによるシャシー周りの潤滑も簡素化され、4輪それぞれにジャッキまで内蔵されている。
公称での定員は4名。幅の広いフロントのベンチシートには3名が座れ、1人分のリアシートが横向きに付いている。折り畳めば、荷室としても使えた。
第二次大戦が始まる前に製造されたラゴンダV12は189台。そのうち、ラピードは12台に留まる。
V12ラピードの2台には、スポーツ・レーサーとして軽量なボディに4キャブレターのエンジンが搭載された。ほとんど事前のテストも行われなかったが、1938年のル・マンでは3位と4位で完走している。
1940年にもル・マンが開かれていれば、改良を受けたV12ラピードが登場していただろう。ラゴンダ社のアラン・グッドはその頃ERAを買収し、V12エンジンを搭載したグランプリカーの計画も立てるが、実現はしなかった。
第二次大戦が始まると、それぞれの人生は大きく狂ってしまう。ラゴンダV12の時代は終わり、WOベントレーは知見を活かし、ツインカムヘッドの2.6L直列6気筒エンジンを設計した。
1947年にアラン・グッドはラゴンダ社を去り、デイビッド・ブラウンが、アストン マーティンとともにラゴンダ社を買収。WOベントレーが設計した6気筒エンジンは、その後の10年間ほど、主力ユニニットとなった。